いまここノート

いまここの記憶

#親キャリ 勉強会 シーズン4第2回『手放して、迎え入れる』

 

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。

シーズン4 第2回勉強会を2015年9月13日に開催しました。


3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
 
今季のテーマは『時間旅行』。 
価値観の旅。
過去、現在、未来、そしていまここ。
 
 
第2回の今回は「現在」への旅です。 
「現在」のパラレルワールド=何かを手放してみた世界、を旅してみました。 
がんばっている気持ちのもう片方にある本音に向き合うような、そんな時間になっていたらと願っています。 
 
「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」のストーリー
これまでの勉強会にご参加くださった、めぐさん、さちえさんにお願いして「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」というテーマでそれぞれのストーリーをシェアいただきました。
 
めぐさんは今年7月に新卒入社以降お勤めになった会社を辞めたお話を。
さちえさんは昨年、同じように長くお勤めになった会社をお辞めになっていて、その前後のお話をしてくださいました。
お二人から受け取ったものがとてもたくさんありすぎて、詳細に記しきることができませんが感想程度にご紹介します。
 
参加者の皆さんからのtwitter上での感想等はこちら
 
お二人とも当日は心の機微までシェアしてくださりほんとうにありがとうございました。改めて心より感謝いたします。
 
手放したもの
めぐさんのキャリアストーリーは、この先5年10年単位で、どんな働き方をしたいのか、どのように充実していたいのかを明確にイメージされながら過ごしてこられたご様子がとても印象的でした。
 
「働くお母さん」はそんなめぐさんが、なりたくてなったもののひとつ。
そして会社をやめる理由はお子さんのためであることもさりながら、「働くからには上に行きたい」「評価されたい」という気持ちを手放すことはできないと心を決められたからだということを教えてくださいました。
 
定時内でもいい仕事をしたいという気持ちを手放すことはできないからこそ、定時内の仕事を評価しない場所に留まることはできない。凛とした潔いご決心だと思いました。
 
手放さなかったもの、手の中に残ったもの
でもじつはめぐさんは「働くお母さん」を手放してはいらっしゃいません。
ここ数年新たに芽生え始めていた「引退後はこんなふうに社会の役に立ちたい」という想いを実現するための勉強と活動にむしろ前倒しで取り組み始めていらっしゃいます。
 
関わっている有償ボランティアの組織についてのめぐさんの描写がとても印象的です。
「ふわっとつながっていて、向かっている方向はみんな一緒。それぞれできる範囲のことしかしていないのにそう感じられて面白い。リーダー的な人が居る一方で今月稼働がない人などいろいろ。でも役に立ちたいという人がこんなにたくさんいる。」
 
同じ想いを共有するゆるい組織に参加するようになってから、気付くと「誰かに評価されたい」は手放していて、「役に立ちたい」という気持ちだけが確かにあるそうです。
 
握っていた手をひらく
「手放す」ということは「ぎゅっと握っていた手のひらをひらく」ようなことかもしれません。
 
誰しも何かに執着してしまうことってあります。それはたとえば、
・モノ
・場所
・習慣
・規範
・人との関係性
・組織への所属
・肩書き
などとざまざまです。
 
そしてそこには「自分は何者か」「何が自分らしさか」「どんな自分なら許せるか、誇れるか」というアイデンティティの問題が関係することがあります。
それをぎゅっと握りしめていなかったら自分自身や他者や社会にとっての自分の価値が損なわれる、掌からこぼれていく、がっかりしたりされたりしてしまう、ここに居られなくなる。
他者からは思い込みや妄想にさえみえるような不安が、当人にとってはいまそこにある危機だというようなことが、誰しもあるものです。
 
しかし部屋をかたづけなければ新しい椅子を置けないときもあります。
ぎゅっと握っていた手をひらく。砂粒がさらさらとこぼれて、きれいな結晶が残る。めぐさんのお話からそんなイメージが浮かびました。
 
足跡をたどって降りてきた場所
さちえさんのはじまりのストーリーは、1年半前の森との出会い。二泊三日の森のリトリートに出かけ、「登る」ための何かをつかみにいったつもりが、「登ることを手放したらどうなるんだろう?」という問いを受け取って帰っていらしたそうです。
 
静寂の森での自分との対話、道に迷い『ものすごく不安で、足跡を辿って同じ道を戻ればいいと思ったら気楽になった。あ、降りようと思った。』という暗示的で比喩的な体験があったそうです。
登る、に比喩されるもの。がんばって働くとかそういうこと。自分の無意識に常識と思っているものをいったん足跡をたどって降りてみたらどうなるんだろう?と思ってしまった。
 
親キャリ勉強会での出会いも、転機として語ってくださいました。
40歳は「人生の正午」という言葉を知ったこと。後半の人生では、人生の前半で影になっていた自己や生活の部分に陽の光があたる時間帯になるという考え方。
人生の先輩である悠さんのストーリーに触れたこと。生涯のお仕事となるであろう今の創作活動との出会いが40歳のころだったというエピソードを聴いたこと。
いまの仕事と働き方をあと30年続ける?
「稼ぐ」「たくさん稼ぐ」ということを手放したらどうなるんだろう?
 
手放してみて、受け取ったもの
さちえさんはそれから時間をかけて、いくつかの出会いを試されたそうです。
安定した雇用関係とは異なるつながりによる活動に参加する際に『私なんもないじゃん!ってすごく思って』、起業塾プロボノ※などもご経験される中で「判断を保留すること」と「想いを口に出すこと」に踏み出されていったようです。『自分に許可を出す』ことの大切さを語ってくださいました。
※参考記事

『ママボノ』に思う、弱さと強さで社会に関わるということ - キャリア探偵手

起業塾では「自分の困りごとを解消すれば、誰かの助けになり、ビジネスになる。そのような自分のアイデアを人に言いましょう」と教わったそうです。そして思い切ってFacebookで発言したら、「俺もそういうこと考えてるんです一緒にやりませんか?」と声をかけられ、現在参加している活動につながっている。そのようなご経験を、目的を持ってやることも大事だけど、気になることをやっていると、結果として得るものがあるなという感覚』としてシェアしてくださいました。

 
まだ気づかれていない願い
目的をゆるめることで得るもの、見えるもの。とても共感をさそわれるお話でした。
最初は直感や素朴な感覚や個人的な願いだけがあって、それらに従って素直に発言したり行動したりするうちに、誰かと共有できる目的が立現れてくる。
 
しかし自分は何に心動かされるのか、本当は何を願っているのか。そのことをいつでも自覚している人ばかりではないでしょう。自分の気づいていなかった願いに気付くことで人は動きだせるのではないか、とさちえさんはおっしゃっていました。
 
人や組織が未来に向かって望ましい変化を経験しようとする時、壁となる3つの声が聞こえるそうです。(『U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』)
 
評価・判断の声
  …「もう知ってる」「それは違う」
皮肉・諦めの声
  …「どうせ無理」「私には関係ない」
恐れの声
  …「今の世界を捨てる?」「きっと耐えられない」
 
これらの壁の向こう側に行こうとする過程で、自らの願いはくっきりとしてきます。
 
しかしこれらの声は過去や現在を生き延びてきた自分を守ってきてくれたものでもあります。
なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践』によれば、人や組織が変われないのは、阻害行動を正当化する「裏の目的」があるからであり、それは「免疫システム」でもあるからだそうです。
 
過去や現在を否定するのではなく「手放し」て、選択的な未来を迎え入れるには、「保留」と「対話」が重要となると言われます。 
 
手放しては戻ってくる
さちえさんが長年勤められた会社を退職されたのは、このようにして『水が少しずつ溜まっていって、漏れた』タイミングだったそうです。
 
それでも、たとえば保育園に就労証明書を提出する機会などに、世の中から「はたらいている」と見られないことへの恐れが浮かび上がったりもしたといいます。
手放したと思っても帰ってくるという事はすごくある。働いている自分のイメージや、保育園に行かせたいという願い、働いていると世の中に認められなければならないという気持ち。手放したりまたぎゅっと握ったり、繰り返している。そういうことってずっと続くんだろうなと。
 
感想程度と言いながらとても長くなってしまいました。
お二人のストーリーシェアリング から受け取ったものがたくさんあります。参加された他のみなさんもそうだったと思います。ありがとうございました。
 
曼荼羅ワーク
当日は、受け取ったものや触発される思いを整理するために連想ワークを行いました。
あきこさんが、専門的には「9分割統合絵画法」、俗称としてマンダラ法をご紹介くださいました。 
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画用紙を9コマに割り、そこに連想されることを絵や記号、言葉などで書いていきます。らせん状に、中心から外へ(発散的)、または右下から中心へ(収束的)に連想を行っていきます。ビジネスでの発想法などにも活用される安全な手法だそうです。
 
参加者の皆さんの曼荼羅ワーク
短い時間でさっと仕上げていただいたのですが、それぞれがいろいろなものを受け取って、十人十色の内省が漂った場であったことが推し量られるワークになりました。
連想のテーマはそれぞれ自由に設定していただきました。
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これからのこの勉強会も、何を目的にするのかをゆるくして、それぞれのお土産が自由に拾える場所であれたらいいなと願っています。
両立のその先はひとり旅。 
 
【参考資料】 
今回のスライド

引用文献
U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

漫画解説本もでたらしいですね 

マンガでやさしくわかるU理論

マンガでやさしくわかるU理論

 

 

なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践

なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践

積ん読解消シリーズ 『安心社会から信頼社会へ』山岸俊男 (1999)

会社の読書会の課題図書。

非常によかったのでメモ。

 

 

 

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方 (中公新書)

 

 

 

 

いつまでも継続することが保証された「コミットメント関係」の中にいることで安心が提供されていたのが日本社会の特徴でしたが、そのような関係の安定性による安心の保証が小さくなるにつれ、これからの日本社会では、われわれの一人ひとりが「この場面では相手を信頼してよいのだろうか」ということを考える必要性が大きくなっていくでしょう。
これからの日本社会で人々は、これまでのような外部に対して閉ざされた関係内部で相互協力と安心を追求することでは得られない、新しい機会に直面することになるでしょう。
その際に、日本社会に不信の文化が育っていくことになれば、このような新しい機会をうまく生かして効率的な社会や経済を展開していくための大きな障害になると考えられます。
信頼の文化が育っていくか不信の文化が育っていくかが重要なのは、それが経済や社会の効率的な運営を可能にするかどうかに大きな影響を及ぼすからです。
(はじめに より)
 
「安心」と「信頼」は違う。ということが本書の出発点です。
 
日本的ムラ社会では人々の行動が集団規範によってしばられていたので、相手の行動を予測する上での不確実性が低く、個別に信頼関係を見極めて築く必要性がなくてその意味ではとても省エネ社会でした。
しかしいまはそのような「安心」の集団を維持するコストはあらゆる面で高まっています。40年間の雇用保障ができるビジネスは稀有ですし、選択肢の多い社会で個人が売り渡す「自由」のコストも大きくなっているでしょう。
 
一方で、社会的な不確実性の高まりを認知すると、人は内集団びいきの傾向を強めると筆者は指摘します。外部者は信頼できない、渡る世間は鬼ばかりだと思いやすくなり、内集団の狭い関係性に注意を向けるようになるそうです。
その副作用として、安心の絆から踏み出して、個人対個人として信頼関係を築く社会的知性を磨く意欲や機会を失うことになる。その結果、社会に不信が広まれば人は容易に扇動されやすくなる。筆者はそのようなことを心配しているようです。
怖い傾向だと思います。
 
筆者の長年の研究によれば、「信頼」というのは甘っちょろくてうすぼんやりとした期待などではなく、対人関係を能動的に築こうとし、また人間性をみる能力をともなう社会的知性の高さに関連する態度だそうです。
この結果にはおおいに納得します。私自身個人的な経験から、人を「信頼」する人には覚悟と意思を感じるからです。
 
また筆者は、日本的といわれる集団主義にしろ、「もーれつサラリーマン」や「やる気のないOL」のようなステレオタイプ的行動にしろ、個人の心や好みのせいと考えず、そのような行動を適応的で合理的な選択とさせる社会のしくみの存在を意識すべきと指摘します。
社会活動や経済活動の資本となるソーシャル・キャピタルのひとつである「信頼」が築かれやすい社会的装置を設ける議論が行われることを求めています。
 
この「社会的装置」を考える際には、社会的不確実性を下げる、ということが重要です。
なぜなら社会的不確実性は、個人の内集団びいきを助長するだけでなく、差別や偏見をも助長するからです。
たとえば変化の激しい環境で終身的雇用に相応しい人材を採用するという極めて不確実性の高い状況においては、統計的確率による判断が選択されやすくなります。これを統計的差別といいます。
何らかの方法で社会的不確実性を下げ、雇用者が「賭け」易い環境をつくることで、結果的に労働者の属性ではなく個性を見極める誘引を高めるという方向性が有効であると考えられます。
 
このような社会的不確実性を下げるような社会的装置として著者は、すすんで手の内を明かすような、自発的に情報を開示し、意思決定基準を公開するような、ボランタリーな組織形態が極めて有効であろうと示唆しています。
とても賛成です!
 
どのようにしてそのようなボランタリーな組織形態が生み出され維持されうるのか、それについては今後の検討課題と著者は議論を次の機会に譲ります。
 
本書の刊行から18年、ボランタリーな組織形態のいろんな事例が生まれていると日々実感しています。いま研究させていただいているプロボノも然りですが、営利組織においても様々な実験的挑戦が注目されてきています。
 
失われた「安心」をもとの形のまま取り戻そうとするのではなく、「信頼」にもとづく行動が結果的に「安心」として育つような、そんな社会を創りたいなと思いました。
 

要因探しを急がない、という積極的?保留戦略

先週、研修に参加してきました。
課題解決的な目標設定と打ち手に終始するのではなく、問題の構造を把握して、構造を変える目標と方針を創造しようというようなテーマを扱いました。

研修中に常に問われたのは「それで誰かの心が動くか?」ということでした。

人の心を動かす、ということについて新しいアプローチを学んだような気がするので書き留めておきます。

それで誰かの心が動くか
日常の小さな案件処理であれ、半年、1年、3年先を語る計画の発表であれ、その一つひとつが関係者に「わたしが何者で」「何を目指しているか」のメッセージを送っています。

あなたは何者?
私に何を伝えたい?
人々は本人さえも気づかないうちに私にそれらを問い、答えを勝手に受信して帰っていきます。
管理職やリーダーというような立場にある人たちはなおさら、日々そのような問いにさらされていると言えるでしょう。

人の心を動かすのは、話し手が役割を脱いでほんものの言葉や行動を見せたときだということも実感しました。
でも今日のメモは、役割を脱ぐためにも役に立つけれど、誰にでもできるテクニカルな側面についてのものです。

結果を細分化し問題の焦点を絞る
メッセージをよく伝えるには、受け手の世界観やメンタルモデルを知ることももちろん大事だと思いますが、今回の研修で私がいちばん勉強になったのは「結果を細分化し、問題の焦点を絞る」ということでした。

問題の焦点を絞ることでメッセージが定まるということももちろん感じましたが、私が届けたいメッセージにとってそのことが大事だと思ったのです。

結果を細分化し問題の焦点を絞ればピアノ練習でも喧嘩しない
研修から帰って自宅で長女のピアノの練習をみていてそのことが腹に落ちました。

うまく弾けていない、練習の仕方がまずい、それをそのまま口に出せば彼女は練習を投げ出すかもしれません。その態度をもってモノを教わる態度がなってないと叱られる可能性だってあります。
長女自身は、なにをやっても文句をつけられる、くらいの構えをもってしまっているかもしれません。

結果を細分化するということはおそらくこの場合、うまく弾けていない中でも、それがリズムなのか指づかいなのか強弱なのかテンポなのか暗譜が進んでいないことなのか、、そのうちのどれがどのように問題なのかを話し合うことでしょう。whatの中のwhereを語ることです。

そしてそれがなぜ問題になるのか?は彼女がピアノ練習の先に得たい価値によります。先生に認められることかもしれないし、発表会でいい演奏をすることかもしれないし、心の中の音楽を表現できることかもしれません。

問題の複雑さは誰にとっても同じではない
でも今は結果の細分化の話に絞ります。
どの程度の粒度の細かさで結果系の現象をとらえられるか、その中の何が解決すべき問題の焦点で何がその要因なのか、を読み解けるかどうかは、経験や知識に左右されます。
PCのちょっとした不具合で私はお手上げ状態ですが、それをちょちょいと直せる人もいます。

結果の細分化に留まり、丁寧に解きほぐすことで、より多くの人と問題の構造を共有できるようになるはずです。

自分にとっては複雑な問題に見えていないとき、また日ごろ課題解決アプローチに慣れているときには、要因探しを急ぎがちです。
しかし問題の焦点を絞らずに要因をあてに行くと、得意領域や持論の補強にしか目が向かないことが往々にしてあるものです。

問題と問題でないものを分ける
さらに、結果を細分化し、フォーカスすべき現象を絞ることで、同時に「問題でない」結果にも目を向けることができます。
そうすれば「いい組織では6回褒められて1回叱られる」という『ロサダの法則』も実行できることでしょう。

ほんとうに不思議なことですが、結果を細分化し焦点が絞られると、戦略が浮かび上がり、要因の構造が照らし出されます。

要因探しを急がない
理由を知りたい。
それは自然な考えだと思います。
でも世の中は複雑で、大抵の出来事の要因は複雑に絡み合っています。要因探しを急ぐことは原因帰属を単純化し、持論同士の対立の溝を深くするようにも思います。

はっきりした要因はわからなかった、誰のせいでもなかった、でも解決したいことと欲しい未来を手にとって眺めたことが一人ひとりの次の一歩を方向づけた。そんなことだって起こりうるのかなと思います。

真の要因を知りたかったら、そして、私はあなたの味方であるというメッセージを伝えきりたいと思ったら、結果を細分化し問題の焦点を絞るチカラをもっていたい。そう思った4日間の研修でした。

割と当たり前のロジカルシンキングなのかもしれませんが、集団でものを観て心が動くような経験をするための手法の引き出しに入れ直しておこうと思います。

#親キャリ 勉強会 シーズン4第1回 『ルーツと転機』

2015年5月17日、親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会を開催しました。

親になっても自分のままでいたい。
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。
親になったからこそ、社会への価値の送り方を考えたい。

3ヶ月に一度自分のことを考える時間。
年4回1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをしています。
キャリア理論の紹介や対話の設計を通じて、ほんとうは話したかったことをつかまえる場をつくれたらと続けてきて、4シーズン目になりました。

両立のその先はひとり旅。
キャリア理論やお互いの対話を材料に、
それぞれが持ち帰る地図を描いていけたらと思っています。


今季のテーマは『時間旅行』です。
過去、現在、未来、そしていまここ。

今季第1回となる今回の勉強会のテーマは「過去」です。
「ルーツ」と「転機」に焦点をあてました。

 

導入、ひとこと自己紹介
「進学時・就職時、あなたの志望動機はなんでしたか?」

今回は17名の参加でした。初参加の方がお二人いらしてくださってとてもうれしかったです。

まず全員で、かつての進路選択の時の気持ちを一言添えて自己紹介タイムとしました。ひとことでは収まらないそれぞれの「ルーツと転機」の小さな物語がたくさんシェアされて、すごくいい時間になりましたね!ありがとうございました。

「話しているうちに当時の気持ちをだんだんと思い出してきました」

「そういえばそういう気持ちで今の仕事に就いたんだと久しぶりに思い出しました」

そんな感想が聴かれました。「過去」旅行の準備はばっちりですね^^

 

ワーク:知情意のルーツ探し

レゴワークをしました!
熱中する経験を「フロー」などと言いますが、そんな気持ちを過去に探してみたいと思い、「子どものころに好きだったこと、熱中したこと」をテーマに自由に制作していただきました。そしてその時に「聴こえた音」「目にしたもの」「考えたこと」「感じたこと」「行ったこと」「話したこと」などに共感しあっていただきました。

自由に作るのは苦手!という方も実は何人もいらしたのですが、レゴパーツを手に取ると不思議と記憶が引き出されたという方もいて、発見や発想が広がる感じがあり、多少無茶ぶりでしたがレゴを使ってみて良かったと思っています。

 

「子どものころ好きだったもの」レゴ作品展示会♪

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「自然」

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「タイムマシン」

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「近所の子たちと遊び倒す」

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「ジャングルジム」

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「ケーキ」

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「お花畑」

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「牧場」

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「トレジャーハンター」

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「窓」

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「門」

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「廃材の船」

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「未知の生物?」

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「パーティ会場」

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「ピンクの塔」

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「少女漫画の女の子」

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「ピアノ演奏」

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「アリの観察」

多様な17作品が揃いました!

 

キャリアストーリーのシェア

次に、勉強会にずっと参加してくださっているゆきえさんに「ルーツと転機」の物語をシェアいただきました。

ゆきえさんからのメッセージは

「キャリアは偶然。でもその偶然を引き寄せるような種まきをしてきた。」

「自分が何に興味があるかがわからないと挑戦もできない。」

「興味があることは、口に出して周囲に伝えておくと、機会がうまれたときに彼女に任せてみようと思いだしてもらえるかもしれない。」

「10年前は育児と仕事のベクトルは正反対だと思っていた。でも今は、同じベクトルを向いていて相乗効果が生まれるものだと思っている。」

会場からはたくさんの共感の声や、種まきをすることについての不安や具体的な方法など、いろんなことを話すことができました。

ゆきえさん、すてきなシェアリングをありがとうございました!

 

まとめ

今回の「過去」旅行。思ったよりすごくよかったです!

過去を旅することで、今につながる思わぬ発見があったという感じがしています。

また、レゴを使って、言葉だけに頼らない探索をしたこともすごく面白かったです。

次回は8月ごろ?を予定しています。次は「現在」を空から眺める旅にしたいと思っています。またぜひご参加ください^^

 

メモ:今回使ったレゴパーツ

レゴになれていないので、ワークでどのくらいのパーツが必要かすごく悩みました。

青いバケツにレゴクラシックアイデアパーツというのを二箱買い足しましたが17人で寄ってたかってのワークでも十分な数でした。黄色のアイデアボックスやアイデアパーツ<スペシャル>は薄い板や小さいパーツが多いと店員さんに教えてもらったので、アイデアパーツの<明るい色セット><ベーシックセット>を買いました。明るい色セットはピンクやオレンジ、紫などのパーツがあって華やかでよかったです^^

 

『ママボノ』に思う、弱さと強さで社会に関わるということ

今日はこれから、ママのプロボノ『ママボノ』の報告会に参加してきます。

プロボノとは、職業人として培ったスキルをいかしたボランティアです。
ビジネスにおける経営や業務プロセスや組織構築・運営を効果的におこなうノウハウや行動は、NPOなどの非営利組織の組織基盤強化の役に立つことのできる能力といえます。

わたしは昨年の『ママボノ』プログラムに参加させていただいて、私自身も多くの学びを得ました。
中でも大きかった学びと変化は、社会の役に立つためにできることと本業での仕事の成果とを重ねるためにあれこれ行動するようになったことです。
仕事で一人前の働きができるようになった方が、もう一段階の成長への意欲とヒントを得る場になると思います。キャリアにもやもやしている方にはぜひおすすめしたい活動です。

前置きが長くなりましたが、『ママボノ』はそのような社会貢献活動に、とくに乳児・幼児の子育て中の方が参加しやすいようなセッティングをしてくださっているプログラムです。
育休中や主婦の方が、昼間お子さんと一緒に活動できます。期間も3ヶ月未満と、気力を保てる長さです。

子育てしながら働くことには自分の様々な「弱さ」に直面することがついてまわります。
手を差し伸べてくださる方には、恩返しではなくて「恩送り」をしてねと声をかけてくださる方もいます。時間差で、助けてくれたその方ではない人へ、恩を送ることは社会のつながりを信じたりつなぎ続けたりする「社会参加」だと今はとても思います。
私が誰かになにかを返すまでにまだまだ時間をかけてもいいですし、弱さを受け入れて社会の助けを得ていくことそのものが社会に参加していく一つの成熟の過程なのだとも考えています。

でも、やっぱり弱者でいる一方の時間を過ごすのはしんどい。たぶん私もそう感じていたし、健康で働き盛りだった方の中には時間や意識が育児にシフトする中で同じように感じる方もいるのではないかと思っています。
そんな時に、いますぐにでも社会に価値を渡す機会は探せばあるんだな、というのが『ママボノ』で感じたことでした。

プロボノは「大人の社会科見学」であると言われることもあります。NPOの活動を通じて社会を知ると、自分の生み出せるかもしれない価値とその機会が格段にきめ細かく見えるようになるはずです。

そんなにハードルは高くありません。仲介してくれているサービスグラントさんのような団体が、成功するプロジェクト運営をノウハウ化してくださっています。
ママボノの機会もまたあるでしょうし、通常のプロジェクトは随時提供されています。
またプロボノでなくても、地域のボランティア・センターに足を運べば、 コーディネーターの方がボランティアの機会をみつけてくださるでしょう。

なにしろ時間がないので私も関わり方は模索中ですが、みなさんにもご自身の社会的価値が手にとって見えるようになる機会をぜひみつけていただけたらなと思います。
では、今年の参加者のみなさんの物語を聴いてきます(^-^)

未熟さのただなかに留まる

久しぶりに会った同期と話していてふと気づいて、そのことはわたし自身のあり方にとても影響が大きいような気がしたので書き留めておきます。

私の会社は大きくみれば単一事業なのですが、その中に性格の異なるいくつかの商品群があります。もちろん職種もいくつかあります。
私の社内キャリアを振り返ると復職のタイミングだけでなくて、わりと商品群や職種をまたぐ異動が多かったように思います。
ちなみに私がチームを変わるだけでなく上司の方が異動したこともあったので、勤続年数と同じくらいの数の上司と組んできました。色んなタイプの方がいたのでちょっとした上司ソムリエです(^-^)

で、書きたかったのは上司の嗅ぎ分け方味わい方ではなくて仕事の方です。
異動が多かった私はスペシャリストの多い自社にしては異色な方で、その結果どうなるかというと、どの職種での経験も中途半端になります。実際、実績も専門性も中途半端で苦労しています。

それでも覚えておきたいなと思ったのは、それがどんな私をつくっているかということ。
熟練する場に居ついたことのない私は、どうやら未熟さのエキスパートなんじゃないかと。
未熟さのただなかに留まることの。

十数年、初心に浸って浸って浸り続けてきたということ。
いろんな仕事での、力不足への泣き方だけを知ってる感じです。
諦めてしまう前の。
空気になってしまう前の。

だから他の人のそれにも気づきやすいような気がするし、そもそもそういう澱みを美しく感じるタチでもある気がします。
何者かになっていこうとする時間から、あまり急いで抜け出さないでいたいと思う。
過去に頼らず、開かれた心と開かれた意志に寄り添ってここに居ること。
それでも何かを生みだしたくて、未熟さを掛け合わせる工夫を忘れずにいたいと思っています。

節目というのは

季節の変わり目。
別れと始まりの季節。

節目というのは、
未来のためにあるのか、
振り返ったらそこにあるものなのか。

ここを節目と構えても何も出てこないくらいからっぽ。
もしかしたらそれを節目というのかも。
竹も中は空洞ですしね(^-^)

ここまでの人生が私に染み込んでいることを信じて、新しい環境に、開かれた心、開かれた意志で踏み出します。
Uの谷底をくぐって、私に期待してくれている世界のために働きたいと思います。