快適なリモートワーク環境のつくり方
半年前にオフィスがフリーアドレスになってから、週1〜2日くらいのペースで自宅ワークをしています。もう5年くらいリモートワークのできる環境にいますが、この半年、利用頻度はあがったと思います。
ただ、自宅にいると食事もそこそこに仕事にのめり込みがちなので、意識して気分転換を心がけることにしようかなと思い立ちました。
というわけでパスタを茹でながら記事を書いています。
私の場合は、出社するよりも明らかに業務効率がいいです。
通勤時間が浮くことと、周りに人の気配がしないことが最大の要因ですが、インフラ・制度面の環境がコストを大きく減らしてくれていることも大きいです。
どんなインフラや制度がリモートワークの生産性を高めているのか。導入を検討される会社も増えていますし、せっかくなので書き付けておきます。
会社のインフラ
- 会社のネットワークに接続しているので、アクセスできるデータベースとかフォルダとかの環境は会社とまったく変わりません
- セキュリティにも配慮されているらしく、個人が大きすぎるリスクを負っているようには感じません
- ペーパーレス化が推奨されています
- 電話がすべてモバイル化されたので、誰かに電話番のしわ寄せがいっているという申し訳なさがなくなりました
会社の制度
- 生産性向上のための施策であると明確にうたっていますので、制度利用にそれ以外の「理由」 は必要ありません(他社さんでは、育児、介護など利用要件が制限されているケースもあるのかなと思います)
- 申請が簡単です。事前申請で業務予定を伝えます
- 週に2回が上限なので、ミーティングとデスクワークの予定を曜日単位で寄せるよう工夫します。これがかなりいいです
- グループでは「金曜はお互いなるべく打ち合わせを入れないようにしようね」などと相談しています
自宅のインフラ
- 寝室に小さめの作業机を置いています(ダイニングやこたつで仕事してるという方からは、家ではあまり捗らないともききました)
- 外付けの大きなモニターを買って設置しました
- 子どもは保育園や学校に行っています(昼間ご自宅にお子さんのいる家庭だと、書斎にこもるのは心理的にも難しいという声もききます)
生産性向上以外のメリット
- 始業前にちょっと掃除機かけたりして部屋がきれいになることも
- 寄る年波で削られている気力体力の温存
- 仕事が片付けば早くお迎えに行ける
- わたしは自由で、信頼されている大人だなぁという気分になる
- 何日かぶりに同僚にあえるとうれしい
ついでにデメリット
- 冷暖房はオフィスのほうが快適
- 電子化しきれない資料がオフィスと家に分散
- うっかり昼ご飯を食べそびれたり、休憩をとらずに働きすぎる
- 自炊すると野菜不足感
- 気分が沈んでるときはネガティヴが加速
- もしかして運動不足になるかも
- 職場の他者とのつながりや信頼や貢献心が薄れたりするんだろうか?
ざっとこんなところでしょうか。備忘録まで。
デメリットの自覚もあるので、しごとの先読みをしたり調整をして、より快適な時間と場所の配分を考えるようになったことが一番の生産性向上要因かもしれません。
今日もこんな時間にお昼ごはんを食べてますが休憩はとれました(^-^)残り時間もがんばります。
#親キャリ 勉強会 シーズン5第1回 『ひとり旅の物語』 開催報告
親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン5 第1回勉強会を2016年7月10日に開催しました。
親になっても自分のままでいたい。
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。
3ヶ月に一度自分のことを考える時間。
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。
1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをしています。
キャリア理論の紹介や対話を通じて、ほんとうは話したかったことをつかまえる場をつくれたらと続けてきて、5シーズン目になりました。
今季は「ひとり旅の物語」を旅するシーズンにしたいと思います。
両立の先はひとり旅。
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。
3ヶ月に一度自分のことを考える時間。
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。
1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをしています。
キャリア理論の紹介や対話を通じて、ほんとうは話したかったことをつかまえる場をつくれたらと続けてきて、5シーズン目になりました。
今季は「ひとり旅の物語」を旅するシーズンにしたいと思います。
両立の先はひとり旅。
誰かの事例に学ぶというようなことでもなくて、一人ひとりがそれぞれ自身の「ひとり旅」について、語る言葉をみつけたりイメージを深める時間にできたらいいなと思っています。
今回は参加者のお一人であるさえさんが、ご自身の物語をシェアしてくださいました。
さえさんありがとう。
参加者全員で、就職から現在にいたるまでのキャリア年表にそって、さえさんのひとり旅の物語に聞き入りました。
はじまりの物語
ストレングス・ファインダーによる強みは、回復志向・調和性・適応性・慎重さ・自我。
「イレギュラーな状況にも適応力高いと言われる、トラブルが起こるとテンションが上がる、褒めてもらえないとやる気が出ない」と自己分析するさえさんの物語です。
(いつも自然体で、迷いも葛藤もゆっくり溶かしていくようなさえさんは、仕事生活の最初からそこに居たんだなぁとなんとなくうれしく思いながら聴いていました。)
石の上にも三年、「お酒が好きでかわいがってもらいました」。その後、会社の買収などで担当していたシステムの大きな変更が予期されるタイミングで円満退社。
転職活動中には、大学卒業後も参加していた勉強会の先生に紹介してもらって、ふらっと八丈島の障がい者の就労施設へ。電話一本で受け入れてくれた現地の人の関係性・時間の流れに、「楽しかった。行ってよかった」としみじみ思う「ひとり旅」だったそうです。
その後、現在まで勤務する会社に就職。当時は40人くらいのベンチャー企業でしたが、今は500人を超える規模になりました。カスタマーサポートから異動して、人事部の立ち上げなど、創業者・経営陣の近くで会社の成長とともに激務をこなし、「モーレツ・サラリーマンでした」。
「しんどかったが楽しかった。きつかったけど、やっていることに意味がある実感がもてていました。波に乗っていた、と思います」。
産休直前まで遅くまで仕事をして、2011年に第一子を出産、育休を取得。
「マドレボニータや育休後カフェにも参加して、フィットネスにも通ったし、結構順調でした。仕事へのモチベーションもあったし」。
震災後、会社が変わった
2011年3月の東日本大震災そのものは、幸いにも生活に大きな変化を与えませんでした。
そして2012年に復職。
「東日本大震災のようなことがあると、会社の中ががらっと変わるんですよ。スピード感が早くなり、一人の人が複数の仕事を兼務するようになったように見えました。ずっと中に居た人にとってはそれが当たり前になっていて違和感が無い様子でしたが、会社の中で調子を崩す人がちらほら出ていたり、いろいろとひずみが出ているように見えました」。
復職後は、より経営陣に近い場所で秘書的に動き、特命的なミッションも「ホイホイ引き受け」、順調に仕事を再始動したかにみえたさえさん。夫にお迎えも頼めたりしたので、時短勤務ではあるけれど残業もこなしました。
でも評価が上がらない。
「黒歴史です」。
(そのころちょうど東京駅でおしゃべりしましたね。仕事での伸び悩みと、子どもとの関係性は別の根っこの悩みでもあるね、情熱も能力も経験もある上司に振り回されずに自分の仕事ができるようになりたいね、なんてお互いしみじみした記憶があります^^)
傷口に塩を塗る上司。私のやりたいことは
そんな中、2014年に直属の上司が変わります。この部署になって3回目の責任者の変更。
3人目の上司は「傷口に塩を塗るタイプ。指摘内容が本質的で、えぐるような内容」。最初はとても苦手で、話すたびに泣きたくなるほど。
けれど、毎週泣きながら面談を続け、本音で話せるようになっていったこと。そして、経営から直接飛んできていた指示の流れを、上司が一旦受け止めるように変えてくれたことで、状況が変わり始めました。
「やりたいことをやればいい、と背中を押してくれました。自分はそれまではずっと経営層の目を気にして仕事をしていたんだなと気付いて。やりたいことができるかも、やっていいんだと思えてきました」
今の私を支えてくれている3つのこと
そして2015年に第二子を出産、2016年に人事に復職し、人材開発室で従業員の人事考課と成長サポートを担当。教育という言葉は上から目線のように感じられるので使いたくないといいます。
「2回の育休を経て、2回目ということもあり、落ち着いて仕事ができています。勝手が分かるのも大きい。1回目と何が違うかと考えると、いろんな人の支えで今の自分がある中、よかったことが3つあるなと思っていて」。
その3つをまとめてくださいました。
- キャリア理論。中でもトランジション理論。何かが終わってから始まるまでのニュートラルゾーンをどう過ごすか。黒歴史時代に知った。独身⇨子供ができて復帰、と状況がガラッと変わったときに、だれにでも悩む時期が誰にもあって、理論にもなるほど研究されていることが救いになった。
- 自己肯定感。自分は自己肯定感が低い。誰かに見られていないと、途端にやる気をなくす。自信があるように見せることはできるが、自信がない。一回目の育休後も、自己肯定感が低く、給与を下げていいです、ということも言ってしまった。ママイキで、「YesかNoかは相手が決める」と、問題と自分を分けて考える、ということを言われてそうだなと思った。育休プチMBAで、自信がないのは自分のせいではなく、学ぶ機会がなかっただけ、と言われた。つい男性より一歩下がることがあるのも、あなたのせいでない、という言葉がストンと落ちた。
- 人とのゆるいつながり。例えば一人目の妊娠前のコーチング仲間。一年に一度連絡を取るかどうか、というレベルだが、同じことを学んだ人たちとのつながりは大きい。他のつながりもそう。親キャリは連絡とる頻度が高い方。会社以外の友人と頻繁に会う方ではないが、ゆるいつながりがあちこちでできているのは大きい。3人目の上司は、やはり違うことがしたいと一年で人材開発室をやめてしまったが、その人とか、斜め上の上司とか、そういうゆるいつながりが自分の支えになっている。
これからのこと。人生の正午が楽しみ
「後に続く人に恩返し・できることを考える気持ちが出てきました。自分でもびっくりしてるんです。真面目なところがあり、苦労してみないと分からない、と思ってしまうところがこれまではあったので、後輩たちに対しても、自分がしたのと同じ苦労をしてみないとよく分からないこともある、というスタンスでいました。カスタマーサポート時代は、鬼軍曹のように何も教えず崖から突き落とす、と言われてもいた私ですが、いろいろな人と知り合う中で、自分ができることって何だろう、とようやく考えられるようになってきました」
「会社でも女性の管理職や、育休に入る人が増えてきています。自分の黒歴史のような体験をして欲しくない。自分には意味があったけれど、会社にとっては無意味なので。会社の後輩に他社の方(親キャリで知り合った管理職経験のある女性)を紹介したんですよ。復職して2週間くらいの彼女に引き合わせました」
「会社で育休に入っている人が今10人くらいいます。復職後の人が皆頑張っているので、会社は、支援しなくてもできている、と思っているところがあるように思っています。お金をかける・成長をサポートするのは、もっと若手・マネージメント層だ、となりがち。なので、一人で密かに支援の提案を画策していたりもします」
「子どもがいるので、次世代を育てているんだな、と実感します。息子たちが大きくなる頃は両立が当たり前の時代になると思うので、奥さんがやってくれて当たり前、という息子にだけはなって欲しくない。そういうことを思いながら生活していきたいと思っています」
「これまでは経営層ばかり見て仕事をしていたんだなと。でも仕事ですることは社員やお客様向けなので。誰に向き合って何をするのかを意識していかないとと思っています。大きなこと、新しいことをするのも重要だけど、まだ復帰して2か月。子どもも二人。目の前のことをコツコツやりつつ、誰を見て仕事するのかは意識していきたいと考えています」
両立の先のひとり旅
「40歳がまもなく見えてきました。40歳は”人生の正午”という言葉がありますね。40という折り返しをして、自分のこれまで日が当たっていなかったところに日が当たる。そのことを少し前はネガティブにとらえていましたが、どういうところに日が当たるのか、今は楽しみ、40歳が待ち遠しい」
というさえさん。
近頃は、人材マネジメントに対して打ち出された会社の方針転換に、少し違和感を感じてもいます。
次のような言葉で物語を締めくくってくれました。
「親離れ、の時期なのかもと。常識、固定観念から離れること。自分は慎重派でリスクは冒さない方なんですが、会社を離れるというようなことも悪くないかもと感じ始めています。実際に離れるのかはわからないけれど、今まで築き上げたものと少し違うところに足をかけるのも悪くないかも、と感じ始めています。子どもが成長して大変になることもあると思うのでまだなんとも言えないけれど、もう少し自由、自由というと言い過ぎかもしれないですが、足を親元に起きつつ、違うところに一歩踏み出す、という想いが自分の中にふつふつと湧いてきています」
さえさんの「ひとり旅の物語」は以上です。
さえさん、お話しくださってありがとうございました。「話してみたことで「親離れ」という言葉が、原稿を書いたときよりもしっくり来ていることに気づいた、話してよかった」と言ってくださってうれしかったです。
参加者のみなさんからは、「八丈島はどんな旅だったの?」「育休後の人が復職後うまくいっているからいいんだ、と思われやすいというのはポイントだと思った」などの感想が相次ぎました。
私からは皆さんとさえさんに一つずつ質問をさせていただきました。
みなさんはさえさんの物語を、「何の物語」だと思いましたか
- 一年ごとにいろいろあってびっくりした。スパンが短い中でいろいろ乗り越えてきたのはすごい
- 経営者層と仕事しながら、社内、お客様向けに仕事をする、という考えが自分の中にはあまりなく、その強い思いを少し聞いてみたい
- 日の当たるところが変わっていく、というところに目が向けられたのが素晴らしい
みなさんの言葉を受けて、さえさんから次のような追加のストーリーが語られました。
「現場ではお客様を見る、ということが言われているんです。そこでよく注意されるのは、誰を向いて仕事をしているのか、ということ。言われることは分かるし、自分ではお客様を向いているつもり。一方で上司から言われることを聞いてしまうところがあって。仕事上、経営者の言う通りにやらないといけないこともあるけれど、そのやり方が、前は経営者しか見ずにやっていたところを、今は、言われてそれをするとしても、見るのは違う方向だなと感じています」
「人事の客は誰なのか?親=経営層が強烈だったけれど、親離れという面が自分の中に出てきている。これから経営者と意見が食い違うこともあるだろうし、そのとき、こちらが自分の顧客だ、と言える距離が出てくるかも。よくも悪くも強烈な親で、同化して言うとおりやろうとしてしまっていた。…もしかして毒親かも?今は反抗期?(笑)毒親と言ってみると、離れていってよい感じがしてきますね」
話し終わってみて、話したかったことは何だったと、あらためて思いますか
こちらはさえさんへの質問。次のように振り返ってくださいました。
- 「親離れ」というワードがヒットした、というのが一つ。
- 人生の正午の少し前に、苦労したほうがいい→苦労させたくない、という大きな転換があったこと
- ニュートラルゾーン=喪に服す期間は、次のステージが始まった時に、前のステージが終わったことが初めて分かるということ
話してよかったのは、親離れ。みなさんと話しているうちに出てきた、毒親、とか反抗期とか、そうなのかも、と腑に落ちたところがある、と語ってくださいました。
みんなの「親離れ」の物語
それからはひとしきり、参加者のみなさん全員の間で、それぞれの「親離れ」についてのおしゃべりをしました。
- 優秀な先輩が退職してから、残されたメンバーで必死に背伸びをしている。当たり前に見守ってくれていた親がいなくなって、今まで本当に子どもだったと気づいた。世界が違ってみえる
- 親というのは、自分にとっては人というよりは常識や固定観念。ここではできないという思い込み。働き方を変えることに興味があるが、口に出したら上司が仕事をつくってみろと促してくれた
- 事業を創ってきた社長が交代。社長がいなくなり、大丈夫か?とみんな思ったけれど、いざ離れてみると、そのボスのやり方でなくても事業は回った。強引でカラーの強い社長だったけれど、そのやり方でなくてもいけたんだ、と思った
- その人がいつまでもいるわけではない、ということを前提に日頃から仕事をしている
- 10年一緒にやってきたチームが上司の定年退職で解散。不安だったが今の上司のところで楽しい。ヨーロッパの人は最低2週間休みを取る。それ以外は、早朝から働くなど熱心。自分が一週間休むと言ったら鼻で笑われた。夜や休日に顧客対応しているのがバカバカしくなった…
- 会社ではお客様って誰なのか届くイメージもなく、新しい提案が通ることもなく、家から出られないという感じがある。レールがあってもそこから自分は落ちているので、周囲で起きていることに興味が薄れている
- フリーランスなのでクライアントはたくさんいて、コロコロ変わる親の顔色を伺う感じ。でも読むのは読者。読者も上も納得し、自分もうまくいったと思える感じにしたい
-
前の上司と離れた時に、上司がやってくれていたこと、親の大切さがわかったことがあった
ご報告は以上です。
いくつものニュートラルゾーンをこえて、親離れの旅に出ようとするまでの成長や心境の変化、とても真実味に迫る物語を語っていただけて、さえさんってすごいな素敵だなと改めて思いました。
八丈島のくだりはそこだけ夢の中のように切り取られた「ひとり旅」の物語でしたね。
発表してくださる方にもいい機会にしていただけるようなので、しばらくストーリー提供から始まる勉強会を続けてみたいと思っています。
私も体験してみたい!とわがままを言いまして、次回は私が話題提供させていただきます(^-^)皆さんに助けていただいて自分の物語を見つけたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
【次回勉強会のご案内】
#親キャリ 勉強会の場とコミュニティ
4年余りにわたって開催してきました #親キャリ 勉強会のホームページを、勉強会にご参加のめいままさんがつくってくださいました!
oyacareer.jimdo.com
#親キャリ 勉強会のホームページを作成しました。https://t.co/2AvPBXEGWe 参加者の皆で作る公認サポーターページを目指しています。初めての方の「親キャリって何かしら?」の疑問が少しでも解消すればと願っています。ホームページ共同編集者を募集中です~。
— めいまま (@may_t1) 2016年6月20日
#親キャリ 勉強会というのはあまり実体や意図のはっきりしたコミュニティではありません。
シーズンごとのゆるやかなテーマはもちながら、各回単発の「勉強会」として開催してきました。
親になっても自分のままでいたい
3ヶ月に一度自分のことを考える時間
話す、離す、放す
両立の先はひとり旅
みなさんお一人おひとりが、そして私自身が、その旅の地図を描く時間を共有したいと思って開催してきました。
各回の場が、安全で、なにかしらの価値がうまれる場になることにはわたし自身精いっぱいの責任をもちたいと思って主催してきましたが、
コミュニティとしての実体はむしろ私の手を放れたところにあって、リアル・バーチャルの参加後になにかの感想をもってくださったり、また今度参加しようかなと思ってくださる、みなさんお一人おひとりそのものがコミュニティであり、またそんなみなさんがホールドしてくださっているあたたかい空気がコミュニティなのだと感じています。
なので、今回、めいままさんがホームページをつくってくださることは、親キャリという場がコミュニティの姿で現れる空間を得ることなんだろうなと(^-^)
コミュニティとしての親キャリはみんなのものであり、私もいち参加者です。
ホームページを通じて、めいままさん、そしてそのほかのみなさんによって、親キャリの場が自由に語られ、語り直されることは、コミュニティのこれからにとって素晴らしい贈りものだと感じています。ありがとうございます!
これからもみなさんとゆるやかにいい時間を共有していけたらと、コミュニティのいち参加者として願っています。
積ん読解消シリーズ『Search Inside Yourself 』
Google で実践されているEQ開発のためのマインドフルネス(瞑想)プログラムの開発者が、その実践方法や背景にある理論を詳細に紹介してくれている本です。素晴らしい内容です、おすすめです。
サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法
- 作者: チャディー・メン・タン,ダニエル・ゴールマン(序文),一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート,柴田裕之
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2016/05/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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エクササイズがたくさんあるので、紙の本で買えばよかったかも。ていうか買い直すかも。
マインドフルネスとは
マインドフルネスとは、どこか別の場所に行くことではなく、今すでにいる場所に完全に存在し、その完全な存在と意識の力を、今この瞬間に意識することなのだ。
特別な状態に達するためではなく、時間という枠を完全に外れ、気づきそのものの中にただとどまるために。
「無為 non doing」や、心を開いて今この瞬間に生きること、純粋な気づきの実践であり、思いやりとは一体不可分だ。
人と人のつながりや頼り合いの経験への入り口であり、その経験が、EQに基づいた行動や、新たなあり方、最終的にはより大きな幸せ、明瞭さ、知恵、優しさにつながる。
何はさておき、おおいに平穏で、幸せで、思いやりに満ちた心
穏やかな心と冴えた頭、そしてやさしさのやりとりに開放的になれたら。
すごく自分が善き存在に感じられるだろうし、しあわせだろうなと思います。
しあわせになりたい。お目出度くなっちゃっていいんだなと思いました。
著者のメンさんはエンジニアなので、神秘の体験を客観的な用語に置き直すのがとても上手です。
「情動のプロセスを高い解像度で知覚すること」
がマインドフルネスの鍵だそうです。
言葉や頭だけでなく、身体が気づいていることにも意識と思いやりを向けていきます。
心の中の獣を飼い慣らす
読んでよかったなぁとまず思うことは、平常心でいられないような情動のトリガーにどう対処するか、についてひとつの具体的な実践方法の示唆が得られたことです。
自分の心をサーチして(Google だけに。洒落たネーミングですよね。)、自然に起こってしまう情動に気づき、その存在を許してやり、それでいて経験している出来事の認知や解釈を歪めさせることと切り離す。
情動という怪物に、自由にそこに居させてやりながら、餌はやらず、依存せず、自由に去らせてやるというメタファーが書籍の中では語られていました。
私自身、ずっと昔に <トリイ・へイデン文庫>シーラという子--虐待されたある少女の物語 (ハヤカワ文庫 HB)という本を読んでから、心の中の獣をいかに飼い慣らすか?というイメージをずっともっていて、苦しくて。だからとても癒されました。
獣はそこに居ることを許されたいんだ。許していいんだな。
でも餌はやっちゃいけない。
そして、去ろうとするなら手放してやらなくちゃいけない。
なぜ人(なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践 )が教えてくれたように、不合理に見える感情や行動も、不安に対処しようとする裏目的には合理的なんですよね。
心の中の獣は私を守ろうとしてくれている。獣に依存してないか、自分に問いかけました。
マインドフルネスは、自分の感情を許し、感情と経験が教えてくれることの両方と穏やかに会話できるようになることだと理解しました。そうなりたいです。
誰であれ、自分とおんなじ人間
マインドフルになり、浮き沈みのある自分の取り扱い方を知ると、コントロール感が得られて、不完全なままの自分にも自信をもつことができるそうです。
そして、そうした自分への高い解像度での理解や思いやりを、他者とよい関係を築くことに転換できます。
その入り口は、「誰であれ、他者はみな、私と同じ、感情や意図や願いや痛みをもった、人間である」ということにいつも思いを致すこと。
「そうでないことがはっきりとするまでは、誰もが私利私慾も、腹黒い意図ももっておらず、分別ある行動がとれる」と信頼すること。のようです。
それができたら、きっと、相手の意図を深読みして防衛的になったり、責めたくなったり、しにくくなりますね。
カギとなる洞察は、影響は意図とは違うということだ。
私たちはたいてい、自分のことを自分の意図で評価するが、他人のことはその人の行動の影響で評価する。
私が誰かの行動によって傷ついたからといって、相手に傷つける意図があったとはまったく限らない。
そのことはよく知っていたけれど、だから傷ついちゃいけないんだと思ってました。でも、傷ついた自分の心を封じ込めていると、他者の感情や傷を高い解像度で理解することも難しくしてしまうんですね。
私が根拠もなく恐れていること。訳もなく傷ついてしまったこと。
なかったことにはできないし、しないほうが、かえって人にやさしく寛大になれるのかもしれないですね。
心の基本設定はしあわせ
なにか悪いことが起こらなければ、人の心は穏やかなのだそうです。確かにそうですね。
しかし「なにもなくて、いい感じ」に気づいているかは人それぞれです。体調を崩して健康のありがたみを知るけど、健康なときに毎日感謝してしあわせを噛み締められるかはその人の意識の向け方次第、みたいなことですね。
穏やかな瞬間を高い解像度で喜び、楽しむ習慣は、幸福感を高めてくれます。
私がしあわせで、健やかでありますように。
私の大切なひとが、しあわせで、健やかでありますように。
私を不安にさせるあの人も、しあわせで、健やかでありますように。
私の知らない人すべての人たちが、しあわせで、健やかでありますように。
なぜでしょうね。ひとつには、自分を脅かす他者の意図を妄想しなくてよくなるからでしょうか。善き存在と思い定めてしあわせを祈ってしまう。先手必勝。
また、もしかしたら、善き自分の存在感を限りなく大きくできて、自分の在り方に満足できることにもよるのかもしれません。
「他者に差し出せる最も貴重な贈り物は、私たちの存在だ。愛するものたちをマインドフルネスが抱き締めた時、彼らは花のように咲き誇るだろう」
とても綺麗なビジョンですね。
私たちは存在するだけで、周りの人にもう何かの影響を与えています。私が何の意図も向けていなくても、他者は私の意図を憶測しつつ行動しているのでしょうから。
そうであれば、善き意図を向けて、そのことだけで他者の助けになる影響力を選びたいと思います。
善き意図が待たれている
あなたが誠心誠意、他人のために尽くしたいと願っていたら、たいていの人が、「私にできることはありますか?」と応じてくれることは請け合いだ。あなたが本気で他人を助けるつもりになっていれば、その利他主義に人々が感動し、あなたを手助けしたいと願う
人々は奮い立たせてもらいたいのだということを私は学んだ。他人のためになりたいという志や、慈善の行為はすべて、他人を奮い立たせる。
マインドフルネスがここまでつながったら、わらしべ長者ですね(^-^)
安心して自分に思いやりを向けたいと思います。
まだまだたくさんの気づきがあったように思いますが、まずは意識が向いているものについてのメモということで。
かつて感情を開放できない子どもだった私自身と、そんな私の影響を受けて育つしかない子どもたちのために、この本も読んでみたいなと思っています。こちらは急がずゆっくり読もうかな。
子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全
- 作者: アデル・フェイバ,エレイン・マズリッシュ,三津乃・リーディ,中野早苗
- 出版社/メーカー: きこ書房
- 発売日: 2013/06/29
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いやならやめてもいい
「参加してもいい、嫌ならやめてもいい」ポジションに留まることって毒そのものだなぁと思ったので、自分を諌めるためのとりとめのないメモ。メモだけど言いわけを断ち切るためにあえて公開。とりとめがないです。
「参加してもいい、嫌ならやめてもいい」。
でも、それってまるで「母親が働くこと」みたい。自由の正体、というだけの話だけど。
ぜんぶほんとの望みなんだけどな。
なのに、経験も知恵も、それを埋める時間も体力もたりないきもち。そしてそれが言いわけだってこともわかってる。
言いわけをする度に傷つくのは自分。
環境にうながされた面はあるとしても、決めたのは自分だもの。
「いやならやめてもいい」
誰にきいたってそんな言葉しか返ってこないと思う。でもやめたいわけじゃない。
だからほんとのほんとにたりないのはきっと、選択と集中、そして腹ぐくり。
だれかに頼ったり力を借りるためにも、本気が必要と感じる。本気の腹ぐくりがないから頼れない。自分ひとりでやれる範囲でやれることを、とまず考えてる。
わたしの履いてるいくつものわらじ。いくつもの中途半端なプロジェクト。
焦らず、自分の心と体に余裕でおさまる分だけにして、あとは手放す。
ほんとに?ほんのひとくち分ずつしか残らないよ。。でも心と体からあふれた分が毒になるくらいなら、そうした方がいいんだろうな。
またはうんと拡げる。だれかとシェアしなくてはやれないプロジェクトにしちゃう。このほうがおもしろいかも(^-^)(でも億劫だな。)
ぐるぐるするばかりで日々が過ぎていく。いったい何がしたくて、何がいやなの?私だって自分に聴きたい。
ふと。私が「親キャリ」という場を、汎用的なテーマを志向する一方で、あえて「親になったわたしたちのための」としてきたのは、自分自身のこういう言い訳の足踏みを、繭に包んでおきたかったからなんだと思います。
親になっても自分自身でいたい。
心に正直でいたい。
自分の足で立っていたい。
それがむずかしい季節にも。
でもそこには「何者にもなれない、ならない」ことへの言いわけが染みついてもいて。
「わたしは十分に強い」
「必要なものはすべてもっている」
にシフトする時機がきているようにも感じます。
でもそう言い放つことがとてもこわい。
自分には何かが欠けていると思いたい。何かが欠けたままでも、1mmも前に進まなくても、それでもいいんだと。いまこの瞬間にもう価値があって、世界は満たされてる。
十分に強くて、決定的に欠けている。
たぶんそれは同じ意味だったりするんだろうけど。
そういう揺らぎをあからさまにすることなく、空気に漂わせておきたかったんですよね。言葉にすれば弱さにしかならないから。
ひとは誰しも弱いもの。助けを求めればいい、助けあえばいい。いまは返せなくても、誰かに恩をおくればいい。
弱さを認めることで恐れを手放せる。
自分には人に渡せるものがないと思いこんでいるから、人から何かを受け取らないようにしている。
どれもきっと正しいんだと思う。
でも簡単に弱音を吐かさせないでほしい。
隙のない姿勢で立っていたい。
そういう気持ちが強すぎるんだろうな。介入されることがとても苦手。
それはあなたのカタルシスであって、私のじゃない。
ほんとうの善意と、善意の顔をしたコントロールをていねいに仕分けする。その両方に心から感謝しても、すべてを受け取る必要はなくて、なにもかもに影響を受ける必要はない。うけとってもだいじょうぶな善意はしっかり心で受け取る。
自分だけで扱える範囲に留めておきたいというVOF(恐れの声)を自覚しつつ、丁寧で自立した在り方でいられたらな。
今ここにない、未来
未来のこと。
未来はどこにあって、いつ生まれるのかなというようなことを考えていました。
そして、未来というのは、世界が塗り変わる感じ、なんじゃないかと思えてきました。
世界は、観るひと一人ひとりがつくっているもので、ちょっと角度をかえるだけでがらりと変わってしまうもの。
客観的にみえる情報も、様々な社会的な背景に意味づけられています。
自然科学的なデータでさえ、測定技術や評価技術というフィルターにかけられたものが多くあるのかなと認識しています。
すでにわかっていること、予測可能な前提や因果律をもとに行動したり考えたり感じたりしているとき、ひとは現在という時間にいながら、過去の枠組みで世界を生きていると言えるかもしれません。
そして未来を感じる瞬間というのは、前提や因果律がくつがえされて、それでもなおその世界で生きていこうと思えるような時なのかなと。
open mindで他人事だった世界を観て、
open heartで過去の自分をゆるしながら、
open willで傷つきながらも新しい世界を歩いてみる。
未来は、いまここには無くて、いつも自分の世界の外側にあるもの。
そして、それが自分にとって親しい未来になるかどうかは、いまここのわたしの個人的な在り方次第。
そんなふうに思えてました。
#親キャリ 勉強会 シーズン4第3回 『未来に踏み出す瞬間、未来が知っているいまここ』
親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン4 第3回勉強会を2016年2月14日に開催しました。
バレンタインデーに多数のご参加、ありがとうございました。みなさんへ愛を込めて。
3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
今季のテーマは『時間旅行』でした。
過去、現在、未来、そしていまここ。
過去、現在、未来と、いまここ
第1回は「過去」への旅、『ルーツと転機』を巡る旅。
何を望み、何をたのしく感じる自分だったかを感じ直しに行きました。
「初心に返る」と言いますが、もっと根っこに戻って、ただ楽しいときの心持ち、夢中になるときの感じを感じ直して、心にホールドしていることって大事なのかなという気がしました。
第2回は「現在」のパラレルワールドを旅しました。『手放して、迎え入れる』。
がんばっている自分、こうでなければいけないような気がすること、なんとなく過去から続いているいま。なにかをやめてみて、ぎゅっと握っていた手のひらを開いたら、何がほどけていく?何がすべりこんでくる?
手放してみてはじめてわかるような執着に、もしかしたらいまこの瞬間も縛られているのかもしれないという予感と、執着を手放してぽっかり空いたスペースに迎え入れられることを待っている、何かいいものの気配とを、みなさんと感じました。
そして、今季最終回となる今回は「未来」への旅です。
『未来に踏み出す瞬間、
未来が知っているいまここ』。
未来の存在感
未来を考えることについての気持ちを、事前にアンケートしてみました。
ワクワクする方、苦手意識のある方、どちらとも言えない方、それぞれ同じくらい。コンディションによる、という声も複数伺いました。
誰にとっても安心で、楽しい機会にしたいなと思って場にのぞみました。
私自身は、未来、にかなり苦手意識があります。いまここに在る自分が嘘のものになるのがこわくて、過剰に身構えてしまいます。
そうではなくて、「いまここ」をほんとうのものにしてくれる未来。「いまここ」が意味深くなったり、足場が確かになるような未来。そういう未来の存在感がきっとあるはずだし、そういう付き合い方のコツを私自身がつかみたいなと思って企画をしていきました。
フューチャーセッションからの学び
未来への苦手意識を克服したくて、2〜3年前くらいの一時期、フューチャーセッションの界隈にちょっぴり足を運んだりしていました。
第一人者の先生に向かって、外向的なワークが実はしんどいですとか失礼な感想を言い放ったりもしながら、自分たちでもフューチャーセッションもどきを開催してみたりもして、「未来」を考える意味とコツが少しずつわかってきたような気がしました。すごく乱暴にまとめるとポイントは2つ。
あとひとつ、多様なステークスホルダーの視界や文脈合わせ、というようなことが本来のフューチャーセッションでは大事になる気がしますが、今回は一人ひとりの地図が描ければいいので割愛。
この2つを、仕事や私生活における個人的な行動指針の選択というミクロな文脈にどんな風にアレンジできるかな?というのが、今回の旅の着想でした。
バックキャスティングと「選択」
フォアキャスティングは現在が描く未来への道のり、
バックキャスティングは未来が描く未来への道のり、
と理解しています。
バックキャスティングに視点を移せるかどうかは、どれだけ手触り感のある具体的な未来の情景を描いて、本当にそこに立っているほどのリアリティをもてるか、ということに左右されると感じていて、フューチャーセッションではそのための様々な手法が使い分けられていると思っています。
ほしい未来の景色を鮮やかに詳細にくっきりと描くと、過去や現在の延長として予想したのとはまったく違う未来の可能性があり得ることに気がつきます。
そして、未来への道のりはすでに1つに決まっているのではなく、じつは幾筋にも分岐していて、まだ選び直したり切り拓いたりできることに気づきます。
思いもよらなかった第一歩をその場で決めることさえできたりします。
どんな内容であれ未来には2種類しかありません。「漫然と迎える未来」と「願って選択した結果の未来」です。
未来旅行
そんなことを考えながら企画した今回の「未来旅行」でした。
前半は「いまここからつながる未来」。
後半は「未来が知っているいまここ」。
いよいよ未来に降り立って、バックキャスティングをしてみました。
以前一緒にフューチャーセッションを開催したいちのせきさんにワーク設計を手伝ってもらいました。
いまここの自分の在り方がほどほどに緩んでいて、肯定感をもちつつ他の在り方の可能性も感じているような状態、土壌が豊かに耕されていて新鮮な空気を含んでいる状態をつくってから、未来の種を蒔きたいと思っていました。
各回でストーリーシェアをしてくださった方々の人生の豊かさ、多彩さにも触発されて、私自身の土壌はかなりほくほくしていい感じでした。みなさんありがとうございました。
ルーシーさんのストーリー
ルーシーさんには突然のリクエストに快く応じてくださり感謝しています。
「未来と私」的なテーマでなにかお話いただけませんか〜というとってもユルいリクエストを差し上げたのですが、わかりやすく、コンパクトかつ内容深いストーリーを準備してシェアくださいました。
先取りするようですが、締めくくりにおっしゃっていた言葉が私にはとても印象的でした。
"未来を能動的に変えてきたわけじゃない。でもたしかに前よりも今、良い場所にいる。だからなにかあるんだろうと思って、お話しする内容を考えました。"
ほんとに、きっと誰もが、良い未来を引き寄せる「なにか」をもってるんだと思います。
改めて、ルーシーさん、ありがとうございました。
まずキャリア年表を披露くださり、これまでのお仕事歴や出産前後のことから、最近のお仕事環境のうれしい変化についてまでをご一緒にたどりました。
おしとやかな雰囲気に似合わず?好奇心が旺盛でフットワークの軽い方なんだなとあらためて思いました。(ギャップ萌え)
キャリアの初期には、そんなルーシーさんが求める手応えが仕事からは必ずしも得られなかったそうですが、それならそれでと社外で様々なスキルを学び、いろんな人に憧れてその世界を素直に吸収していかれたことがルーシーさんらしさであり、間違いなく今のルーシーさんをつくっていると思いました。
フットワーク軽く興味関心に従うこと、人から影響を受ける素直さ、欲求に自覚的であること、ずっと願い続けているからチャンスを逃さず掴みに行けること、どれもルーシーさんの「未来を変えた習慣」なんですね。
"外からくるものは大きい。なにか意味がある。ちょっと無理してでも機会に乗るようにしている。"
ともおっしゃっていました。
今回の無茶振りもポジティブに受け入れてくださってとても嬉しかったです。
「欲求に自覚的になる」という習慣について、参加者の方から質問が投げかけられましたが、それはこんなことだと説明くださいました。
"欲求というのは互いに矛盾しているもの。仕事も思いきりしたいけど、子どもと過ごす時間も大切。何が自分の本当にやりたいことかは簡単にはわからない。だから「もやもや」は心の中で言葉にするけれど、簡単には口に出さない。"
なるほどなぁ、と思いました。軽やかだけれども穏やかさをたたえているルーシーさんの魅力の理由がひとつわかった気がしました。
また、キャリア年表の中から「未来に一歩踏み出した瞬間」をとりだしてシェアしてくださいました。
ひとつめは悔しさを飲み込んだ瞬間。
もうひとつはチャンスを掴んだ瞬間。
「私にもやらせてください」と言えなくて悔しい思いをした経験が、上司に来た依頼仕事を「私がやります」とすかさず受けにいく未来に結晶化する。
悔しさも勇気も、どちらも未来に踏み出す瞬間なんだなぁと感慨深くお聴きしました。
上司の代わりに登壇した業界の講演会。"自分と同じ仕事をしているひとと初めて会った"そうで、次のキャリアのヒントが得られたり、新たな機会に声がかかるようになったり、思わぬうれしい拡がりがまだこれからも止まりそうにないご様子に、ピースがはまって歯車が噛み合って動き出す瞬間というのがあるんだなぁとぞくぞくしました。
そしていまルーシーさんには、たくさんの可能性の未来が見えるそうです。
「10年時間をかければ今とは違うどんな仕事でも出来る」とも言われますが、これからは50年働く時代、まったく違う自分になっちゃうことも、きっとほんとにあるんでしょうね。
フューチャーインタビュー
後半はフューチャーインタビュー。
「願いが叶った未来」にタイムスリップして、未来の自分にインタビュー。
どうしてそんな場所に来れちゃったのか。そこはどんな景色で、さらにどんな未来がみえちゃう場所なのか。
セッション構成はいちのせきさんが最近受講したという研修からお借りしてきました。なので詳細は割愛しますが雰囲気だけでも。
あなたはなんでもできます。
願いを口にすると不思議と助けてくれるひとがたくさんあらわれます。
いま、どんな願いがかなっていますか。
こんな問いかけから未来に出発します。
それはいまなら何年後の世界で、そこにいるとどんな会話があって、どんなことをしているのか。具体的にイメージしたら立ち位置を移動して、問いを変えます。
そこにたどり着くまでにいろんな苦労があったと思いますが、どんなことをしたんですか。
誰のどんな助けがありましたか。
未来の私はそこまでに歩いてきた道のりをちゃんと知っています。
自分がどんな未来を望んでいて、そのためには何をしたらいいか、私たちはほんとうはもう知っています。もう知っている未来(knowing)の声だけを聴く問いかけです。
そこまでの道のりが見えたらまた立ち位置を変えます。
その間、いろんな人がいろんなことを言ってきたと思います。どんなことを言われたり訊かれたりしましたか。
その言葉にあなたはどんな風にこたえましたか。
何かを変えるときや願うときには、自分の外からも内側からも、批判的な声や諦めの声、心配する声が聴こえるものです。その声に向きあって、準備をしておくことで、未来への道がクリアになります。
最後に、最初の立ち位置に戻ります。もう一度そこからの景色を見渡すと、願った未来のさらに先にある未来がより鮮やかに見えているかもしれません。
みなさんそれぞれ、意外な未来やもう知っていた未来への道筋や、そこからの景色が一層鮮やかになる経験ができたのではないでしょうか。
いちのせきさん、素晴らしいセッションをありがとうございました。
デザインとドリフト、ホープとミスト
キャリアデザインには、いろんな季節というかタイミングがあると思っています。
そのことについて、「デザイン」と「ドリフト」という見方があります。人生には、自分の心の声を聴いて慎重に計画したり選択したりする必要がある時期と、ただ目の前のことに打ち込んだり、起こることにオープンでいればいい時期とがあるという考え方です。
また、「キャリア・ホープ」と「キャリア・ミスト」ということを言う方もいます。ホープ=希望や目標の有無と、ミスト(霧)=見通しの良し悪しのようなことで、その2軸の掛け合わせでキャリアのステイタスを見る考え方です。
ホープが定まらなくてもやもやするときも、ホープが明確だからこそつらい思いをするときもありますし、霧が濃くて道に迷うこともあれば、先が見えすぎて飽きちゃうこともあります。
ひとそれぞれに人生のいろんなタイミングに立っていて、その都度、未来の存在感って変わったりするのかなとも思いました。
未来のよき存在感を探し続けた1年間、今シーズンもお付き合いありがとうございました。