いまここノート

いまここの記憶

卒園式が泣ける理由

テレワークの日はなるべく休憩を意識的に取ろう!

そのバロメーターとして、つまらない内容でもいいから日記を書くことにしよう~

と思い立ったのが昨年10月。それ以降、お昼に日記を書いたのは3回目なので、あまり自律的なテレワークライフが送れているとは言えなさそうです。がんばろう。

 

というわけで、先週は次女の通ってきた保育園の卒園式でした。

「2回目だから段取りもばっちりだよね!」と先生に言われたり、同じ2人目のお母さんからは「もうこれで保育園来ないと思うと前回より泣けるよね」と言われたり。

私自身が歴史上自分の卒業イベントで泣けない方だったので、今回もどうかなぁ、みんなはどうして涙できるのかなぁ、私の感涙ポイントってどこなんだろうなぁと自分のココロの動きを興味深く観察した一日でした。(素直に泣けばいいのにね)

 

「こんなに大きくなってくれてうれしいよ」

先生方がとっても素敵な式次第にしてくださっていて、証書授与のあとは本人が将来の夢を宣言、そのあと歩いてきて親に証書を渡してくれて親からひとこと、という一人ひとりのためのセレモニーでした。

(こういう先生の心遣いをありがたいと思う気持ちは、素直に感涙ポイントかも)

 

先生が「涙は連鎖しますからね!ハンカチ持ってね!」と式の前に声をかけてくれましたが、私自身はそういうのは割と平気…。涙ながらにコメントする親御さんももちろん多くてうらやましい…。

がんばったね、ありがとう、などの言葉が続く中で、「こんなに大きくなってくれてうれしいよ」と声をかけたお母さんの言葉が印象に残りました。ほんとにそうだなぁ。それがなにより一番うれしい。無事に育ってくれて。自分でものを考えるようになって。

(でもそれは毎日のように感動することだったりもして改めて節目感は薄いかも。)

私は「卒園おめでとう。次女ちゃんが大好きです」と声をかけました。

 

「ずっと見守っているよ」

そうだった。3年前も、私にとって最大の感涙イベントは園長先生の言葉だった、と、先生のお話が始まった瞬間思い出しました。

子どもたちへ。

「先生たちは、みんなのことをずっと大事に思っています。みんなが大きくなって、お父さんやお母さんになるまでずっとずーっと。」

そして親たちへ。

「育児しながらのお仕事は大変でしたよね。泣いている子どもの手を振り切って出かける日もあったと思います。電話が鳴るたびに保育園かな?と思ったり、今日だけは熱を出さないで!と願った日もあったと思います。」

 

先生たちは、私たち親のことも見守っていてくれました。

子どもの健やかさを第一に思う専門家の立場から、私たち親の健やかさをとっても大事に考えてくれているのが伝わってきました。

仕事が忙しくて毎日のように閉園ぎりぎりのお迎えになっていることを園長先生に謝ったときも、しんどい時だね、ママは大丈夫?と声をかけてくださいました。大丈夫じゃなかったから、ちょっぴり泣けちゃいました。

 

3年前を思い出すと、長女の初めての小学校入学を前にして、この後ろ盾を失う心細さでいっぱいだったなぁと。子どもよりも、自分の方が、保育園の存在感に頼って支えてきたきもちを独り立ちさせるのに苦労しました。

(蓋を開けてみれば子どもがすごく頼もしく成長していたし、学童クラブの先生も学校の先生も素敵な人たちで、思ったよりも支えの多い日々でしたが。)

 

失おうとしているのは「居場所」なんだ

先生方は、私の知らない子どもの顔を知ってくれていたと思います。大人とのコミュニケーションや友達との関係も、親がいない場所でしか見せない顔がいっぱいあるはず。そこを知ってくれて、基本的にはよい方向に向かって伸びていくように考えてくれる人が居る。こんなありがたいことはないと思います。私の場合はそのことがそのまま、社会への信頼感につながったし、子育てを楽しいものと感じる気持ちにつながりました。

ただただその子の個性、持ち味や偏りを知ってくれている人がいるということ。その場でしかうまれない関係性があるということ。そういうのが「居場所」なんだなぁと。

 

形式化された知識やスキルの教育は「買う」こともできるけれど、「居場所」はそうじゃない。こういうありがたい場所や関係性が健全にあり続けるために何ができるかを考えながら、お金を払ったり、感謝やうれしいきもちを伝えたり、意見を言ったり協力したりしていきたいなと思いました。

 

「居場所」、大人にも必要ですよね。仕事上の役割や、家庭での役割を脱いで、素の自分をみてくれる人や出せる場所。もしかしたら完全な「素」は難しいので、いくつもの顔で、他の場所での役割からは「はみ出す」ような自分でいられる場所を複数もてるのが幸せなのかもしれませんね。これからの平均寿命100歳ライフで、関係性は資源ではなく、目的になると思います。

 

改めておめでとう

そんな不純なことを考えながら、卒園式、謝恩会と一日過ごした次女ちゃんとの帰り道。

担任の先生が、どんなふうにこの一年間、子どもたちに語りかけ、働きかけ、クラスを創ってくれたかも、折に触れて話を聴いてきたので知っていました。

そして、謝恩会の合間にお話をして、そんな先生との関わりで昨年の4月から最近にかけて彼女の発する言葉が変わってきたこと、それでも変わらない彼女のスタイルに「負けた」と思って先生の方が学んだこともあったともお聴きしました。

そうだよね、次女ちゃんが自分で努力した末の卒園ではないけど、この一年の、そして園に通った五年間の、一期一会の成長があったんだよね。と。

そんな帰り道。

なんだかしみじみと、卒園っておめでたいことなんだなぁという気持ちが湧いてきて。

 

彼女は先生たちのそんなありがたい関わりも、先生はこわいとこもある、くらいでたぶんよくわかってなくて。ずっと心のどこかで覚えてくれていて心では見守ってくれるとしても、先生にはたぶんもうなかなか会えることはなくて。そして彼女は多くのことを忘れてしまう。

卒園ソングが泣けるのはそういうことかもしれないですね。忘れないよ、と歌っても、彼女たちは忘れてしまう。そのことを温かく知っている大人だから流れる涙。

 

次女ちゃん、改めて「卒園おめでとう」。心から(^^)

2016年ふりかえりメモ

2016年もあとほんのすこし。
今年も助けてくださったみなさん、ありがとうございました。

どんないちねんだったかなぁとふりかえりをしたときのメモを眺めながらのまとめメモです。

継続は力
毎日少しだけ。
音階練習と練習曲をひとつずつ。
瞬間英作文と英文法のアプリをひとつずつ。
腹筋を5回とか少しずつ。

2016年は楽器と英語と健康に少しずつ心と時間を使いました。

楽器はおかげで数年ぶりにオーケストラの演奏会に出られたので、ハナマル。
英語はきっといつか芽がでると信じてマル。
運動はうっかり忘れてしまうことが多くてさんかく。来年は運動したいです。

趣味があってこそ人生
自分で自分をたのしませることができる大人に戻らなくちゃなぁと。
子育てにとられる物理的な手が少しずつはなれてきて、子どもに楽しませてもらうこと、時間を埋めてもらうことから少しずつ卒業していく予感がしています。

いつか、たのしい人生だったなぁと振り返るためには趣味はだいじかなぁと。

たとえば楽器演奏の技術、音楽をたのしむ感性と余裕、一緒に弾いてくれる人たちとのつながり。少しずつ取り戻していきたいし、あたらしいたのしみの習慣も時間をかけてつくっていきたいです。来年はオケはまたお休みかなと思うので。基礎練は続けます。

書くことで前に進む
テーマのある文章をかくと、そのものの出来栄えはともかく思考が前に進んだり、課題が見えたり、関心を共有できたりするものですね。
今年は研究のための情報収集過程をレポート記事にする機会をいくつかいただいて、とてもありがたかったです。感謝。

来年は学会発表だけでなく、投稿論文もがんばります。
組織論テーマでブログエントリーもできたらなと思います。

探索から実践へ
2013年くらいから少しずつ探索してきたテーマ、ご縁をいただいてきたつながりが、少しずつ熟して、結晶化されることを望んでいる気配が濃くなってきた一年でした。

この流れを澱ませてはいけないんだろうな。まだまだ力不足です。恐れを乗り越えてがんばります。

心中の獣を飼い慣らす
復職後のこの1年半、不安や自信のなさや覚悟の浅さが恐れや卑屈さを呼んで、助けてくれようとするひとたちの手をむしろ遠ざけるようなことが多かったような気がしています。

このところ、やっと仕事の環境にも慣れてきました。これまでの15年、異動や休職が多くて、未熟者・新参者から抜け出すほどの期間、ひとつの仕事をすることがありませんでした。ここからは、今さらながらの未体験領域です。

来年は、いつでも安心したきもちから始めて、ひとりでは行けない場所も覗きにいきたいと思います。

『自信とは何か、自信との付き合い方』
2年前の勉強会テーマですが、いまになって改めて意味がわかることもあるような気がしてきました。

イムリーに、今後も助けになってくれそうな本との出会いもありました。
『Search Inside Yourself』
サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法


2017年はこつこつと地味に努力したいと思います。個人的なメモですが、思ったより長くなりました。年越しちゃいました。本年もよろしくお願いいたします。

#親キャリ 勉強会 シーズン5第2回 開催報告

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会 略して #親キャリ 勉強会のシーズン5 第2回勉強会を 2016年12月11日に開催しました。

3ヶ月に1度、ほんとうははなしたかったことをつかまえるための場として続けてきて、5年目になりました。
親になっても自分のままでいたい。いいしごとがしたい。
話す、離す、放す。

1シーズンごとにゆるやかなテーマを設けてきました。今年は「ひとり旅の物語」です。
両立の先はひとり旅。
過去と未来の結び目にあるいまここ。
だれかの物語風の旅を味わうことをきっかけに、それぞれのひとり旅が豊かになればといいなと思っています。

いわゆるナラティブ・アプローチの可能性への実感を深めつつ、モノローグからダイアローグに転換・展開する場づくりを意識しています。ここは試行錯誤中です。
そんな中ですが、今回は私が物語を提供させていただきました。貴重な機会をありがとうございました。
ファシリテートしてくれたかなこちゃん、記録係をしてくれたさえさん、開催告知やランチ手配などしてくださっためいままさん、いづみさん、そしてリアル・バーチャルにご参加くださったみなさん、ありがとうございました!

ナラティブ・アプローチ
ナラティブ・アプローチというのは、対人支援の場で実践が深められつつある、セラピーのためのひとつのあり方を指す言葉のようです。
親キャリの場は支援の場ではありませんので、気軽にナラティブ・アプローチなんて言わない方がいいのかもしれません。

ですが、親となってはたらくという特定のシチュエーションに自分ごととして関心をもつひとたちが、聴き合い対話するなかで、どこか相互支援的な、あるいは自己支援的な場として機能している部分があるとも思っています。

その意味で、語り、語りあう場として、よりよくあるためのひとつのヒントとして、ナラティブにまつわる実感値を深めたいなと思っています。

語るということ
ナラティブ・アプローチについては勉強中なのであまり確かなことを言えないのですが、社会構成主義の立場に根ざした対人支援の関わり方を指すようです。

社会構成主義というのは、一人ひとりのひとが生きているのは、客観的な事実に基づく客観的な世界ではなく、何かしらの文化に埋め込まれた言葉を通じて個々人が解釈し再構成した世界である、というような考え方のことです。(ざくっと意訳しました。解釈に違和感あったらその筋の方教えてください。。)

社会構成主義は、誰かのことを理解したいと思ったら、その人が何をどのように解釈しどんな世界として語るのかということを軽視することはできない、という考え方につながります。それはそうだなぁと深く同意します。

一方で厄介だなと思うのは、語るという行為が本質的に回顧的で、「あとづけの理由」であり、また「聞き手が求める正解」に大きく影響を受けることです。
ナラティブ・セラピーでは、専門家の診断によってクライアントが自己を解釈するのではなく、クライアントの「主体性」や「自己決定」を発見することが大事にされているようです。しかし「語る」という行為は何かしらの知的・社会的な価値体系を反映した「言葉」を用いるがゆえに、場に「語らされる」面があり、「誰が決めたのか」を曖昧にしやすい側面がありはしないのかなということが素人考えでは気になっていました。

ですが「語り」が多義的で不安定であることは裏を返せば、語りによる意味づけや、語り直しによる新たな意味の発見が、ひとの未来の行為を変える可能性も多分に含んでいるともいえます。ナラティブ・セラピーもそのような可能性に開いたアプローチと理解しています。

そのように聴く側の安心の場づくり次第、語られた物語への語りあい方次第で、よりよき「いま」や「未来」がその場で生成されうる、ということが、昨今一般に取り組みが活発になっている「対話の場づくり」の核心とも言えるのではないでしょうか。

語り直し(リストーリー)
なんだか難しい話を経由してしまいましたが、端的にいえば、私は個人的に「語ること」に苦手意識をもっていました(^-^)ゞ
言葉を発した瞬間に、すべて嘘のような気がしてしまうから、でしょうか(これも嘘かもしれないです)。

ですがナラティブ・セラピーやダイアローグでうまれる価値や新しい展開というものにも関心はあって、実感値を得たいとも思っていました。なので、自分語りをするといういい機会をいただき、みなさんに感謝しています。

かなこちゃんと事前に相談したときに、聞き手による「語り直し(リストーリー)」によって、語り手/聞き手/対話の場のそれぞれに得るものを創り出せるかも!というアイデアに至りました。

ほんとはもっとそこをじっくりやりたかったんですけれどね。私が長く語り過ぎちゃって、あまり時間が取れなくてすみませんでした!(ほんとごめん。。)

でもこうしてふりかえってみて改めて「語り直し」に可能性を感じています。次回はちゃんとタイムコントロールします。ほんとにごめんなさい。。

私の物語
短い時間の中でも、さすが勘の鋭いみなさんです(ほんとに)、みなさんから多様なリストーリーのフィードバックをいただきました。大切にします。ありがとうございます。
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そして私への贈り物としてリストーリーを呼びかけてくれたかなこちゃんに心からの感謝を。ありがとう!
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語りと語り直しから生まれたもの
まず、語ることへの恐れや抵抗感がだいぶ払拭されました(毎回散々参加者のみなさんに語らせておいていまさらヒドイ話ですが。だからこそ丁寧に場を扱ってきたということで(^-^)ゞ)。
判断を保留した場で、お互いの主体性を信じられる場で、聴いていただけるというのはとても勇気づけられるものなんだなあということを実感しました。

私にとって思いもよらなかったエピソードへの予想しなかった反響が大きかったことにも気づかされることがありました。
例えば「個をあるがままに生かす」「個と組織を生かす」ことをミッションでありビジョンとして語る会社に就職したこと。人事コンサルタントとしての修行期間にたくさんのインタビューや制度設計に関わったこと。
年表に沿って話していったので、もう手放したことについての話が順番的に多くなったきらいはあったのですが、そこに色んな感想をいただいたことは思いもよらないことでした。
気づきには両面あって、そこが私のオリジナルな語るべきルーツかもしれないこと、同時に、私にとってもう語らなくてもいいことかもしれないこと。どちらなのか、いまはまだわかりません。

また、私は何度もがっつり休職しておまけに今も大学院に通ったりしつつ社内の異動も多い方だったり。何者でもないまま流れる物語、越境の物語として語った側面について、私自身よりも的確な表現での語り直し、または映像つきの豊かな語り直しもたくさんいただきました。
それは間違いなくその瞬間までの私が大事にしてきて、世間への言い訳として生きてきた物語でした。
それなのに、同時にいまここにいる私は、流れる人生の物語に矛盾する願いを抱き始めてもいます。何者かになって、居場所を得て、ひとの役にも立ちたい。
もしかしたらそのコントラストが、いまここの意味を深くしてくれたかもしれません。「語り終える」ということの意味がもしかしたらあったのかもしれません。みなさんに大事に読んでいただいたから、初めて次のページに進めるのかもしれません。
(ナラティブ・セラピーでいうところの、ドミナントストーリーの外在化、オルタナティブストーリーの発見、でしょうか。ナラティブすごい(^-^)おなじみのキャリアのトランジション理論でいうとブリッジズの、何かが終わる/ニュートラルゾーン/何かが始まる、かも)

そんなこんなで
かなこちゃんやみなさんに胸をお借りして語ってみてほんとによかったです。
ありがとうございました。
ふらふらといつまでも子どものままだった私がこうして何かの役に立ってもいいと思えるようになったことは、親キャリの場を通じてみなさんから少しずつ学んできたことの結果でもあり、いまこうしてそのことを言葉で自覚化できたことにかなり驚いていて、心から感謝しています。

私の発達を歯がゆく待ってくれていた人たちにも感謝しています。お待たせしました。ちゃんとおとなになりますね。

次回の物語もまた新しくたのしみです!

人と組織をみる解像度とマルチチャンネル

解像度たかく、ひとや、組織や、社会をみられたらいいなぁと思っています。

それから、世界をとらえる周波数のチャンネルをカチャカチャ変えてみたい。慣れ親しんだ窓から見える景色だけじゃなく、外に出て陽の光に透かしたり、可視光線以外の波長をとらえるカメラで撮影したりしたい。世界がいま見えている通りの姿とは限らないから。

だからわたしは研究をするんだなぁと、今日思いました。今日は研究の機会をくださっている企業の方たちと、調査結果を踏まえての次のアクションをわいがやするたのしい集まりでした。

私が勉強しているのは経営学、組織論の領域です。ひとのものの見方や経験が、組織の構造や環境が、作用しあってどのような機微をみせるのか。これまでわかっていることやこれから知るべきことを探索しています。

論文を書いて研究成果を出してなんぼの世界であることは重々承知していますが、今年は研究の過程で知り合った方々の活動や、研究の背景にある基本的な理論、いま学会で話されていることなどを紹介する機会を仕事でいくつかいただきました。不十分な内容ではあったと思いますが思ったより喜んでいただきました。

そうか、私自身がそうであるように、世界をみる解像度をあげたい、受信する周波数のチャンネルを変えてみたい、と思う方はたくさんいらっしゃるのかなぁと思いました。そうなのかな?

だとすれば、わたしがご縁や環境に恵まれて学ぶことができて、そこで面白いと思ったようなことの覚え書きをもう少しだだ漏れさせていこうかなと(^-^)
ちょうど、これまで読んだ論文を振り返りましょうという課題を先生からいただいているので、そのついでの備忘録のようなものになるかもしれません。
組織論や研究に関連するよしなしごとを書き溜めてみたいと思います。続くかな?

私と私のだいじな人たちに新しい世界をみせてくれる研究という営みが、私はとてもすきだなぁと改めて思った記念に。

2種類の後悔

ふと。
生きていると大きなものから小さなものまで日々さまざまな後悔にまみれますが、もしかしたら大きく分けると2種類なのかな。

自分で決めなかったことに対する後悔
ひとの意見や助けを求めたり受け容れなかったことに対する後悔

どちらがより苦いかなぁと。そんなことを考えてました。

知らなかった、調べなかった、流されてしまった、よく考えなかった。

信頼しなかった、格好つけたかった、自分でできると思いたかった。

自分で選んでも流されても、その結果を後悔しようと思えばできるってことでもあるような気もするけれど(^-^)
起こってしまったことの後悔より、次のより快適な一手がだいじとは思う。

でも、依存と自立を行ったり来たりしながらいいブレンド、バランスをめざしたいとも思う。

困ったら口に出す。(依存)
善意の情報にたどりつく努力をする。(自立)
結論を保留して急がない。(依存)
善意の提案だからと妥協して盲従しない。(自立)
自分の後悔のツボを知る。(自立)
結果を吟味しきれなくても機会に乗ってみる。(依存)
誰かの基準で判定される損得や勝ち負けに踊らない。(自立)
後悔を忘れて明日の風を感じる。(依存)

たとえばそんな感じ。

携帯電話を買い換える度にばかばかしくそんなことばかり考える。
世界はわかりやすくはできていないんだなぁと、自分のままで生きていこうとする自分の甘さを噛みしめる。

突然SIMを受け付けなくなったiPhoneちゃんはしばらくwifi専用機と化していましたが、新しいスマホが今晩あたり届くはずです(^-^)

快適なリモートワーク環境のつくり方

半年前にオフィスがフリーアドレスになってから、週1〜2日くらいのペースで自宅ワークをしています。もう5年くらいリモートワークのできる環境にいますが、この半年、利用頻度はあがったと思います。

ただ、自宅にいると食事もそこそこに仕事にのめり込みがちなので、意識して気分転換を心がけることにしようかなと思い立ちました。
というわけでパスタを茹でながら記事を書いています。

私の場合は、出社するよりも明らかに業務効率がいいです。
通勤時間が浮くことと、周りに人の気配がしないことが最大の要因ですが、インフラ・制度面の環境がコストを大きく減らしてくれていることも大きいです。
どんなインフラや制度がリモートワークの生産性を高めているのか。導入を検討される会社も増えていますし、せっかくなので書き付けておきます。

会社のインフラ
  • 会社のネットワークに接続しているので、アクセスできるデータベースとかフォルダとかの環境は会社とまったく変わりません
  • セキュリティにも配慮されているらしく、個人が大きすぎるリスクを負っているようには感じません
  • ペーパーレス化が推奨されています
  • 電話がすべてモバイル化されたので、誰かに電話番のしわ寄せがいっているという申し訳なさがなくなりました

会社の制度
  • 生産性向上のための施策であると明確にうたっていますので、制度利用にそれ以外の「理由」 は必要ありません(他社さんでは、育児、介護など利用要件が制限されているケースもあるのかなと思います)
  • 申請が簡単です。事前申請で業務予定を伝えます
  • 週に2回が上限なので、ミーティングとデスクワークの予定を曜日単位で寄せるよう工夫します。これがかなりいいです
  • グループでは「金曜はお互いなるべく打ち合わせを入れないようにしようね」などと相談しています

自宅のインフラ
  • 寝室に小さめの作業机を置いています(ダイニングやこたつで仕事してるという方からは、家ではあまり捗らないともききました)
  • 外付けの大きなモニターを買って設置しました
  • 子どもは保育園や学校に行っています(昼間ご自宅にお子さんのいる家庭だと、書斎にこもるのは心理的にも難しいという声もききます)

生産性向上以外のメリット
  • 始業前にちょっと掃除機かけたりして部屋がきれいになることも
  • 寄る年波で削られている気力体力の温存
  • 仕事が片付けば早くお迎えに行ける
  • わたしは自由で、信頼されている大人だなぁという気分になる
  • 何日かぶりに同僚にあえるとうれしい

ついでにデメリット
  • 冷暖房はオフィスのほうが快適
  • 電子化しきれない資料がオフィスと家に分散
  • うっかり昼ご飯を食べそびれたり、休憩をとらずに働きすぎる
  • 自炊すると野菜不足感
  • 気分が沈んでるときはネガティヴが加速
  • もしかして運動不足になるかも
  • 職場の他者とのつながりや信頼や貢献心が薄れたりするんだろうか?
ざっとこんなところでしょうか。備忘録まで。
デメリットの自覚もあるので、しごとの先読みをしたり調整をして、より快適な時間と場所の配分を考えるようになったことが一番の生産性向上要因かもしれません。

今日もこんな時間にお昼ごはんを食べてますが休憩はとれました(^-^)残り時間もがんばります。

#親キャリ 勉強会 シーズン5第1回 『ひとり旅の物語』 開催報告

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン5 第1回勉強会を2016年7月10日に開催しました。
 
親になっても自分のままでいたい。
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。

3ヶ月に一度自分のことを考える時間。
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。

1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをしています。
キャリア理論の紹介や対話を通じて、ほんとうは話したかったことをつかまえる場をつくれたらと続けてきて、5シーズン目になりました。

今季は「ひとり旅の物語」を旅するシーズンにしたいと思います。
両立の先はひとり旅。 
誰かの事例に学ぶというようなことでもなくて、一人ひとりがそれぞれ自身の「ひとり旅」について、語る言葉をみつけたりイメージを深める時間にできたらいいなと思っています。
 
今回は参加者のお一人であるさえさんが、ご自身の物語をシェアしてくださいました。 
さえさんありがとう。
参加者全員で、就職から現在にいたるまでのキャリア年表にそって、さえさんのひとり旅の物語に聞き入りました。
 

はじまりの物語

ストレングス・ファインダーによる強みは、回復志向・調和性・適応性・慎重さ・自我。
「イレギュラーな状況にも適応力高いと言われる、トラブルが起こるとテンションが上がる、褒めてもらえないとやる気が出ない」と自己分析するさえさんの物語です。
 
大学時代は社会心理学を専攻し、就職超氷河期に就職活動、アルバイトをしながらも自治体のインターンシップ・プログラムに参加し、そのままインターン先のシステム会社に就職。
(いつも自然体で、迷いも葛藤もゆっくり溶かしていくようなさえさんは、仕事生活の最初からそこに居たんだなぁとなんとなくうれしく思いながら聴いていました。)
 
石の上にも三年、「お酒が好きでかわいがってもらいました」。その後、会社の買収などで担当していたシステムの大きな変更が予期されるタイミングで円満退社
 
転職活動中には、大学卒業後も参加していた勉強会の先生に紹介してもらって、ふらっと八丈島障がい者の就労施設へ。電話一本で受け入れてくれた現地の人の関係性・時間の流れに、「楽しかった。行ってよかった」としみじみ思う「ひとり旅」だったそうです。
 
その後、現在まで勤務する会社に就職。当時は40人くらいのベンチャー企業でしたが、今は500人を超える規模になりました。カスタマーサポートから異動して、人事部の立ち上げなど、創業者・経営陣の近くで会社の成長とともに激務をこなし、「モーレツ・サラリーマンでした」。
「しんどかったが楽しかった。きつかったけど、やっていることに意味がある実感がもてていました。波に乗っていた、と思います」。
 
産休直前まで遅くまで仕事をして、2011年に第一子を出産、育休を取得。
「マドレボニータや育休後カフェにも参加して、フィットネスにも通ったし、結構順調でした。仕事へのモチベーションもあったし」。
 

震災後、会社が変わった

2011年3月の東日本大震災そのものは、幸いにも生活に大きな変化を与えませんでした。
そして2012年に復職。
東日本大震災のようなことがあると、会社の中ががらっと変わるんですよ。スピード感が早くなり、一人の人が複数の仕事を兼務するようになったように見えました。ずっと中に居た人にとってはそれが当たり前になっていて違和感が無い様子でしたが、会社の中で調子を崩す人がちらほら出ていたり、いろいろとひずみが出ているように見えました」。
 
復職後は、より経営陣に近い場所で秘書的に動き、特命的なミッションも「ホイホイ引き受け」、順調に仕事を再始動したかにみえたさえさん。夫にお迎えも頼めたりしたので、時短勤務ではあるけれど残業もこなしました。
でも評価が上がらない。
黒歴史です」。
 
(そのころちょうど東京駅でおしゃべりしましたね。仕事での伸び悩みと、子どもとの関係性は別の根っこの悩みでもあるね、情熱も能力も経験もある上司に振り回されずに自分の仕事ができるようになりたいね、なんてお互いしみじみした記憶があります^^)
 

傷口に塩を塗る上司。私のやりたいことは

そんな中、2014年に直属の上司が変わります。この部署になって3回目の責任者の変更。
3人目の上司は「傷口に塩を塗るタイプ。指摘内容が本質的で、えぐるような内容」。最初はとても苦手で、話すたびに泣きたくなるほど。
 
けれど、毎週泣きながら面談を続け、本音で話せるようになっていったこと。そして、経営から直接飛んできていた指示の流れを、上司が一旦受け止めるように変えてくれたことで、状況が変わり始めました。
「やりたいことをやればいい、と背中を押してくれました。自分はそれまではずっと経営層の目を気にして仕事をしていたんだなと気付いて。やりたいことができるかも、やっていいんだと思えてきました」
 

今の私を支えてくれている3つのこと

そして2015年に第二子を出産、2016年に人事に復職し、人材開発室で従業員の人事考課と成長サポートを担当。教育という言葉は上から目線のように感じられるので使いたくないといいます。
 
「2回の育休を経て、2回目ということもあり、落ち着いて仕事ができています。勝手が分かるのも大きい。1回目と何が違うかと考えると、いろんな人の支えで今の自分がある中、よかったことが3つあるなと思っていて」。
その3つをまとめてくださいました。

  1. キャリア理論。中でもトランジション理論。何かが終わってから始まるまでのニュートラルゾーンをどう過ごすか。黒歴史時代に知った。独身⇨子供ができて復帰、と状況がガラッと変わったときに、だれにでも悩む時期が誰にもあって、理論にもなるほど研究されていることが救いになった。
  2. 自己肯定感。自分は自己肯定感が低い。誰かに見られていないと、途端にやる気をなくす。自信があるように見せることはできるが、自信がない。一回目の育休後も、自己肯定感が低く、給与を下げていいです、ということも言ってしまった。ママイキで、「YesかNoかは相手が決める」と、問題と自分を分けて考える、ということを言われてそうだなと思った。育休プチMBAで、自信がないのは自分のせいではなく、学ぶ機会がなかっただけ、と言われた。つい男性より一歩下がることがあるのも、あなたのせいでない、という言葉がストンと落ちた。
  3. 人とのゆるいつながり。例えば一人目の妊娠前のコーチング仲間。一年に一度連絡を取るかどうか、というレベルだが、同じことを学んだ人たちとのつながりは大きい。他のつながりもそう。親キャリは連絡とる頻度が高い方。会社以外の友人と頻繁に会う方ではないが、ゆるいつながりがあちこちでできているのは大きい。3人目の上司は、やはり違うことがしたいと一年で人材開発室をやめてしまったが、その人とか、斜め上の上司とか、そういうゆるいつながりが自分の支えになっている。
 

これからのこと。人生の正午が楽しみ

「後に続く人に恩返し・できることを考える気持ちが出てきました。自分でもびっくりしてるんです。真面目なところがあり、苦労してみないと分からない、と思ってしまうところがこれまではあったので、後輩たちに対しても、自分がしたのと同じ苦労をしてみないとよく分からないこともある、というスタンスでいました。カスタマーサポート時代は、鬼軍曹のように何も教えず崖から突き落とす、と言われてもいた私ですが、いろいろな人と知り合う中で、自分ができることって何だろう、とようやく考えられるようになってきました」
 
「会社でも女性の管理職や、育休に入る人が増えてきています。自分の黒歴史のような体験をして欲しくない。自分には意味があったけれど、会社にとっては無意味なので。会社の後輩に他社の方(親キャリで知り合った管理職経験のある女性)を紹介したんですよ。復職して2週間くらいの彼女に引き合わせました」
 
「会社で育休に入っている人が今10人くらいいます。復職後の人が皆頑張っているので、会社は、支援しなくてもできている、と思っているところがあるように思っています。お金をかける・成長をサポートするのは、もっと若手・マネージメント層だ、となりがち。なので、一人で密かに支援の提案を画策していたりもします」
 
「子どもがいるので、次世代を育てているんだな、と実感します。息子たちが大きくなる頃は両立が当たり前の時代になると思うので、奥さんがやってくれて当たり前、という息子にだけはなって欲しくない。そういうことを思いながら生活していきたいと思っています」
 
「これまでは経営層ばかり見て仕事をしていたんだなと。でも仕事ですることは社員やお客様向けなので。誰に向き合って何をするのかを意識していかないとと思っています。大きなこと、新しいことをするのも重要だけど、まだ復帰して2か月。子どもも二人。目の前のことをコツコツやりつつ、誰を見て仕事するのかは意識していきたいと考えています」
 

両立の先のひとり旅

「40歳がまもなく見えてきました。40歳は”人生の正午”という言葉がありますね。40という折り返しをして、自分のこれまで日が当たっていなかったところに日が当たる。そのことを少し前はネガティブにとらえていましたが、どういうところに日が当たるのか、今は楽しみ、40歳が待ち遠しい」
というさえさん。
 
近頃は、人材マネジメントに対して打ち出された会社の方針転換に、少し違和感を感じてもいます。
次のような言葉で物語を締めくくってくれました。
 
「親離れ、の時期なのかもと。常識、固定観念から離れること。自分は慎重派でリスクは冒さない方なんですが、会社を離れるというようなことも悪くないかもと感じ始めています。実際に離れるのかはわからないけれど、今まで築き上げたものと少し違うところに足をかけるのも悪くないかも、と感じ始めています。子どもが成長して大変になることもあると思うのでまだなんとも言えないけれど、もう少し自由、自由というと言い過ぎかもしれないですが、足を親元に起きつつ、違うところに一歩踏み出す、という想いが自分の中にふつふつと湧いてきています」
 
 
さえさんの「ひとり旅の物語」は以上です。
さえさん、お話しくださってありがとうございました。「話してみたことで「親離れ」という言葉が、原稿を書いたときよりもしっくり来ていることに気づいた、話してよかった」と言ってくださってうれしかったです。
参加者のみなさんからは、「八丈島はどんな旅だったの?」「育休後の人が復職後うまくいっているからいいんだ、と思われやすいというのはポイントだと思った」などの感想が相次ぎました。
 
私からは皆さんとさえさんに一つずつ質問をさせていただきました。

みなさんはさえさんの物語を、「何の物語」だと思いましたか

  • 一年ごとにいろいろあってびっくりした。スパンが短い中でいろいろ乗り越えてきたのはすごい
  • 経営者層と仕事しながら、社内、お客様向けに仕事をする、という考えが自分の中にはあまりなく、その強い思いを少し聞いてみたい
  • 日の当たるところが変わっていく、というところに目が向けられたのが素晴らしい
みなさんの言葉を受けて、さえさんから次のような追加のストーリーが語られました。
 
「現場ではお客様を見る、ということが言われているんです。そこでよく注意されるのは、誰を向いて仕事をしているのか、ということ。言われることは分かるし、自分ではお客様を向いているつもり。一方で上司から言われることを聞いてしまうところがあって。仕事上、経営者の言う通りにやらないといけないこともあるけれど、そのやり方が、前は経営者しか見ずにやっていたところを、今は、言われてそれをするとしても、見るのは違う方向だなと感じています」
 
「人事の客は誰なのか?親=経営層が強烈だったけれど、親離れという面が自分の中に出てきている。これから経営者と意見が食い違うこともあるだろうし、そのとき、こちらが自分の顧客だ、と言える距離が出てくるかも。よくも悪くも強烈な親で、同化して言うとおりやろうとしてしまっていた。…もしかして毒親かも?今は反抗期?(笑)毒親と言ってみると、離れていってよい感じがしてきますね」
 

話し終わってみて、話したかったことは何だったと、あらためて思いますか

こちらはさえさんへの質問。次のように振り返ってくださいました。

  • 「親離れ」というワードがヒットした、というのが一つ。
  • 人生の正午の少し前に、苦労したほうがいい→苦労させたくない、という大きな転換があったこと
  • ニュートラルゾーン=喪に服す期間は、次のステージが始まった時に、前のステージが終わったことが初めて分かるということ

話してよかったのは、親離れ。みなさんと話しているうちに出てきた、毒親、とか反抗期とか、そうなのかも、と腑に落ちたところがある、と語ってくださいました。

 

みんなの「親離れ」の物語

それからはひとしきり、参加者のみなさん全員の間で、それぞれの「親離れ」についてのおしゃべりをしました。

  • 優秀な先輩が退職してから、残されたメンバーで必死に背伸びをしている。当たり前に見守ってくれていた親がいなくなって、今まで本当に子どもだったと気づいた。世界が違ってみえる
  • 親というのは、自分にとっては人というよりは常識や固定観念。ここではできないという思い込み。働き方を変えることに興味があるが、口に出したら上司が仕事をつくってみろと促してくれた
  • 事業を創ってきた社長が交代。社長がいなくなり、大丈夫か?とみんな思ったけれど、いざ離れてみると、そのボスのやり方でなくても事業は回った。強引でカラーの強い社長だったけれど、そのやり方でなくてもいけたんだ、と思った
  • その人がいつまでもいるわけではない、ということを前提に日頃から仕事をしている
  • 10年一緒にやってきたチームが上司の定年退職で解散。不安だったが今の上司のところで楽しい。ヨーロッパの人は最低2週間休みを取る。それ以外は、早朝から働くなど熱心。自分が一週間休むと言ったら鼻で笑われた。夜や休日に顧客対応しているのがバカバカしくなった…
  • 会社ではお客様って誰なのか届くイメージもなく、新しい提案が通ることもなく、家から出られないという感じがある。レールがあってもそこから自分は落ちているので、周囲で起きていることに興味が薄れている
  • フリーランスなのでクライアントはたくさんいて、コロコロ変わる親の顔色を伺う感じ。でも読むのは読者。読者も上も納得し、自分もうまくいったと思える感じにしたい
  • 前の上司と離れた時に、上司がやってくれていたこと、親の大切さがわかったことがあった

 
 
ご報告は以上です。
いくつものニュートラルゾーンをこえて、親離れの旅に出ようとするまでの成長や心境の変化、とても真実味に迫る物語を語っていただけて、さえさんってすごいな素敵だなと改めて思いました。
八丈島のくだりはそこだけ夢の中のように切り取られた「ひとり旅」の物語でしたね。
 
発表してくださる方にもいい機会にしていただけるようなので、しばらくストーリー提供から始まる勉強会を続けてみたいと思っています。
私も体験してみたい!とわがままを言いまして、次回は私が話題提供させていただきます(^-^)皆さんに助けていただいて自分の物語を見つけたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
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