読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いまここノート

いまここの記憶

#Ureading 【共始動】と、わたしが何かを望んでもいい理由

土曜の朝の #Ureading
読み遅れていたU理論第21章【共始動】を昨夕読みました(^-^)ゞ

きのうブログを書いてから、
「求めるもの」ってなにかなぁ
世界に触れ合う自分自身に現れる手がかりってどんなものかなぁ
と考えていたんですが、ヒントがありました。

【共始動】のファーストステップは、アテンド・注意を向ける、だったと思います。
(手元に本がないのでうろ覚えですみません)

何に?
「世界がわたしに期待していることに」
です。(ここもうろ覚え)

わたしは答えを持たずに場に入り、場が求めていること、わたしが興味をひかれることに耳を澄ませます。
それを持っているのはこれまであまり興味の対象にならなかったものや人であることもあります。
新しいアイデアはかたちになるまで時間がかかることもあります。自分の知性を信じて感性のままに行動することです。信じるものを同じくする仲間と一緒に。
適切な場と時間に出会えば、あっという間にかたちになることもあるのです。
問題解決の場から、プロトタイピングの場へと変化します。

そんなことが書いてありました。(たぶん)

読んで思ったことがふたつ。

ひとつは、「求めるもの」は「求められているもの」に応えられること、だったりするのかなということ。
「応えたい求め」をみつける旅なのかなということ。

もうひとつは、わたしはわたし生きる世界にしがみついていてもいい、しがみつくべきなんだということ。
子育てしながらだと何をしていても、私さえ自分を望まなければ、と思ってしまいます。
でも、わたしが何かを望んでいるわけではない。わたしによって為されることを「待って」いる何かが未来にある。まだそれは見えないんだと(^-^)

それでも難しいのは、こどもたちこそがきっとわたしを「待っていて」くれた人生のひとつだということ。これをスルーするって手はないよなぁとやっぱり迷っちゃいますね(^-^)ゞ

わたしたちが人生に期待するのではない、人生がわたしたちに期待しているのだ。
これはフランクルの『夜と霧』のテーマでもあります。
強制収容所の絶望を生き延びたひとたちは、自分に生きる意味と価値を付与できた人たちでした。

自分をあきらめないために、世界や未来の力を借りるというのはいいアイデアです。