モザイク模様でパートタイムな私
風邪の熱に浮かされながら散文的に考えたこと。
寄る年波には勝てなくて、年々無理がきかなくなってくる。
でも無理がきかないことがくやしくて涙がとまらない。
そう感じるのはどうしてですか?と聞いてもらって、
「なにもかもパートタイムでなにもやれてない感」とか「各方面に世話になりすぎてて、それは私がさぼる為じゃない感」とか「健康は自己責任」感とか
そういうものだなぁと考えながら、一方で、
何と比較して自分はそう考えるんだろう?縛られているんだろう?とも思えてきた。
『専業で打ち込んでいる人には適わない』
どこかでそう思っちゃってるんだな。
あーまた泣けてきた。
負けるのがくやしいんじゃないんです。
そういうのどちらかというとあまり気にできないほうなんで。
わたしはずっと社会のお荷物のまま、後ろ指をさされたまま、どこにも辿り着けないのかもしれない。それが怖くて、申し訳なくて。
でも、散文的な、モザイク模様のわたしでいることは、
『いま』の私を楽しませてくれている。
いま、を正直に生きている。
だったら、迷子上等。もう一度腹をくくり直すだけかな^^
そういう風にわがままになりきれないのは、どこかで
『人間として』『親として』生きているわたしを、
受け入れきれていないということなんだと思う。
みんなで人間らしく生きようよと人にいいながら、自分自身を許せていない。
気づいて笑っちゃいました^^
私が私なのは、仕方ない。
できればたくさんの人に許されたいけど、まずは私が私であることを認めてよろこんでくれる少しのひとのために、元気に生きようと思います。謙虚さも忘れずにね^^