ハンドルを握るということ
車の運転をするときにいつも、自立、のイメージがわきます。
どの車もみんな行き先が違うんだよね。
いまこの瞬間の判断ひとつひとつが正しいかどうか、は私しかしらない。
周りの車をみてもわからない。
ちょっとくらい怒られても、気にしてたらきりがない。
走り方にひとつだけの正解はないんだよね。
どちらでも構わないことがたくさんあって、それを自分の好みで選ぶとドライブは快適になる。
ルールやマナーや流れ、は読めたほうが走りやすいんだよね。
従うかどうかは都度判断だけれど。
他のみんなの安全の鍵を握ってるんだよね。
居眠り運転は命取り。私自身の健康や体調を最優先する。
車の性能も、運転者の体力もそれぞれ。
乗ってる人と、交通システムの安全が第一。
ときどきフロー感覚もあるんだよね。
平気だよって顔で内心びくびくどきどきしながら、自分で決める責任の中で身につけた経験や技術が増えていくと、コントロールできる状況が増えていく感じ。
先読みもできるようになる。
電車のレールの上では行きづらいとこにも行けるんだよね。
それがいつでも誰にとっても経済的かどうかはわからないけど。
(実際もう少し子どもが大きくなったら車は手放すつもりですが)
自力で好きな場所にいけるって、素敵なんだよね。
責任を引き受けて初めて見えるようになるシグナルがたくさんある。
運転できるようになってよかったなあと思うわけです。
日常的には乗らないし、もともと苦手意識や心配の声があったことを克服しつつあることに意味を感じるのかもしれませんけど。
私にとっては働くこともそんなイメージだなぁと。
そんなことを育休復帰当初はよく思ったような気がします。
待ち時間の多かったいちにちの徒然草でした。