giftがgiftになる場所
きょう見せていただいたすごい才能のこと、忘れないうちに。
営業でバリバリ売っていた頃、新規事業を統括されていた頃、きっとその柔らかな言葉えらびのセンスは過剰だったかもしれなくて。
或いは無駄なものとしてただそこにあった。
でも今、その繊細さこそが、ハードボイルドな経験に裏打ちされた洞察を、これからの働き方生き方に揺れて相談に訪れる人たちの心に届けてくれる。
giftはどこにあってもgiftの姿をしているわけではなくて、きっと過剰さだったり、欠点の顔さえしているものなんだ。
過剰さを、贈り物に変えられる場所へ。
そこまで歩いていきたいと思いました。