いまここノート

いまここの記憶

要因探しを急がない、という積極的?保留戦略

先週、研修に参加してきました。
課題解決的な目標設定と打ち手に終始するのではなく、問題の構造を把握して、構造を変える目標と方針を創造しようというようなテーマを扱いました。

研修中に常に問われたのは「それで誰かの心が動くか?」ということでした。

人の心を動かす、ということについて新しいアプローチを学んだような気がするので書き留めておきます。

それで誰かの心が動くか
日常の小さな案件処理であれ、半年、1年、3年先を語る計画の発表であれ、その一つひとつが関係者に「わたしが何者で」「何を目指しているか」のメッセージを送っています。

あなたは何者?
私に何を伝えたい?
人々は本人さえも気づかないうちに私にそれらを問い、答えを勝手に受信して帰っていきます。
管理職やリーダーというような立場にある人たちはなおさら、日々そのような問いにさらされていると言えるでしょう。

人の心を動かすのは、話し手が役割を脱いでほんものの言葉や行動を見せたときだということも実感しました。
でも今日のメモは、役割を脱ぐためにも役に立つけれど、誰にでもできるテクニカルな側面についてのものです。

結果を細分化し問題の焦点を絞る
メッセージをよく伝えるには、受け手の世界観やメンタルモデルを知ることももちろん大事だと思いますが、今回の研修で私がいちばん勉強になったのは「結果を細分化し、問題の焦点を絞る」ということでした。

問題の焦点を絞ることでメッセージが定まるということももちろん感じましたが、私が届けたいメッセージにとってそのことが大事だと思ったのです。

結果を細分化し問題の焦点を絞ればピアノ練習でも喧嘩しない
研修から帰って自宅で長女のピアノの練習をみていてそのことが腹に落ちました。

うまく弾けていない、練習の仕方がまずい、それをそのまま口に出せば彼女は練習を投げ出すかもしれません。その態度をもってモノを教わる態度がなってないと叱られる可能性だってあります。
長女自身は、なにをやっても文句をつけられる、くらいの構えをもってしまっているかもしれません。

結果を細分化するということはおそらくこの場合、うまく弾けていない中でも、それがリズムなのか指づかいなのか強弱なのかテンポなのか暗譜が進んでいないことなのか、、そのうちのどれがどのように問題なのかを話し合うことでしょう。whatの中のwhereを語ることです。

そしてそれがなぜ問題になるのか?は彼女がピアノ練習の先に得たい価値によります。先生に認められることかもしれないし、発表会でいい演奏をすることかもしれないし、心の中の音楽を表現できることかもしれません。

問題の複雑さは誰にとっても同じではない
でも今は結果の細分化の話に絞ります。
どの程度の粒度の細かさで結果系の現象をとらえられるか、その中の何が解決すべき問題の焦点で何がその要因なのか、を読み解けるかどうかは、経験や知識に左右されます。
PCのちょっとした不具合で私はお手上げ状態ですが、それをちょちょいと直せる人もいます。

結果の細分化に留まり、丁寧に解きほぐすことで、より多くの人と問題の構造を共有できるようになるはずです。

自分にとっては複雑な問題に見えていないとき、また日ごろ課題解決アプローチに慣れているときには、要因探しを急ぎがちです。
しかし問題の焦点を絞らずに要因をあてに行くと、得意領域や持論の補強にしか目が向かないことが往々にしてあるものです。

問題と問題でないものを分ける
さらに、結果を細分化し、フォーカスすべき現象を絞ることで、同時に「問題でない」結果にも目を向けることができます。
そうすれば「いい組織では6回褒められて1回叱られる」という『ロサダの法則』も実行できることでしょう。

ほんとうに不思議なことですが、結果を細分化し焦点が絞られると、戦略が浮かび上がり、要因の構造が照らし出されます。

要因探しを急がない
理由を知りたい。
それは自然な考えだと思います。
でも世の中は複雑で、大抵の出来事の要因は複雑に絡み合っています。要因探しを急ぐことは原因帰属を単純化し、持論同士の対立の溝を深くするようにも思います。

はっきりした要因はわからなかった、誰のせいでもなかった、でも解決したいことと欲しい未来を手にとって眺めたことが一人ひとりの次の一歩を方向づけた。そんなことだって起こりうるのかなと思います。

真の要因を知りたかったら、そして、私はあなたの味方であるというメッセージを伝えきりたいと思ったら、結果を細分化し問題の焦点を絞るチカラをもっていたい。そう思った4日間の研修でした。

割と当たり前のロジカルシンキングなのかもしれませんが、集団でものを観て心が動くような経験をするための手法の引き出しに入れ直しておこうと思います。