いまここノート

いまここの記憶

積ん読解消シリーズ『Search Inside Yourself 』

Google で実践されているEQ開発のためのマインドフルネス(瞑想)プログラムの開発者が、その実践方法や背景にある理論を詳細に紹介してくれている本です。素晴らしい内容です、おすすめです。

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

エクササイズがたくさんあるので、紙の本で買えばよかったかも。ていうか買い直すかも。


マインドフルネスとは
マインドフルネスとは、どこか別の場所に行くことではなく、今すでにいる場所に完全に存在し、その完全な存在と意識の力を、今この瞬間に意識することなのだ。
特別な状態に達するためではなく、時間という枠を完全に外れ、気づきそのものの中にただとどまるために。
「無為 non doing」や、心を開いて今この瞬間に生きること、純粋な気づきの実践であり、思いやりとは一体不可分だ。
人と人のつながりや頼り合いの経験への入り口であり、その経験が、EQに基づいた行動や、新たなあり方、最終的にはより大きな幸せ、明瞭さ、知恵、優しさにつながる。
何はさておき、おおいに平穏で、幸せで、思いやりに満ちた心
穏やかな心と冴えた頭、そしてやさしさのやりとりに開放的になれたら。
すごく自分が善き存在に感じられるだろうし、しあわせだろうなと思います。
しあわせになりたい。お目出度くなっちゃっていいんだなと思いました。

著者のメンさんはエンジニアなので、神秘の体験を客観的な用語に置き直すのがとても上手です。
「情動のプロセスを高い解像度で知覚すること」
がマインドフルネスの鍵だそうです。
言葉や頭だけでなく、身体が気づいていることにも意識と思いやりを向けていきます。

心の中の獣を飼い慣らす
読んでよかったなぁとまず思うことは、平常心でいられないような情動のトリガーにどう対処するか、についてひとつの具体的な実践方法の示唆が得られたことです。

ひとは危険を感じると、脳の扁桃体だかが腫れて、闘うか逃げるか状態になってしまうらしいです。そう言われてみると、自分の扁桃体が腫れていることを感じることができます。なんとか鎮めたいです。

瞑想によって扁桃体の反応が落ち着くことが脳科学的な検証からわかっているそうです(このことは別の書籍からマインドフル・ワーク 「瞑想の脳科学」があなたの働き方を変える

自分の心をサーチして(Google だけに。洒落たネーミングですよね。)、自然に起こってしまう情動に気づき、その存在を許してやり、それでいて経験している出来事の認知や解釈を歪めさせることと切り離す。

情動という怪物に、自由にそこに居させてやりながら、餌はやらず、依存せず、自由に去らせてやるというメタファーが書籍の中では語られていました。

私自身、ずっと昔に <トリイ・へイデン文庫>シーラという子--虐待されたある少女の物語 (ハヤカワ文庫 HB)という本を読んでから、心の中の獣をいかに飼い慣らすか?というイメージをずっともっていて、苦しくて。だからとても癒されました。

獣はそこに居ることを許されたいんだ。許していいんだな。
でも餌はやっちゃいけない。
そして、去ろうとするなら手放してやらなくちゃいけない。

なぜ人(なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践 )が教えてくれたように、不合理に見える感情や行動も、不安に対処しようとする裏目的には合理的なんですよね。
心の中の獣は私を守ろうとしてくれている。獣に依存してないか、自分に問いかけました。

マインドフルネスは、自分の感情を許し、感情と経験が教えてくれることの両方と穏やかに会話できるようになることだと理解しました。そうなりたいです。

誰であれ、自分とおんなじ人間
マインドフルになり、浮き沈みのある自分の取り扱い方を知ると、コントロール感が得られて、不完全なままの自分にも自信をもつことができるそうです。

そして、そうした自分への高い解像度での理解や思いやりを、他者とよい関係を築くことに転換できます。

その入り口は、「誰であれ、他者はみな、私と同じ、感情や意図や願いや痛みをもった、人間である」ということにいつも思いを致すこと。
「そうでないことがはっきりとするまでは、誰もが私利私慾も、腹黒い意図ももっておらず、分別ある行動がとれる」と信頼すること。のようです。

それができたら、きっと、相手の意図を深読みして防衛的になったり、責めたくなったり、しにくくなりますね。
カギとなる洞察は、影響は意図とは違うということだ。
私たちはたいてい、自分のことを自分の意図で評価するが、他人のことはその人の行動の影響で評価する。
私が誰かの行動によって傷ついたからといって、相手に傷つける意図があったとはまったく限らない。
そのことはよく知っていたけれど、だから傷ついちゃいけないんだと思ってました。でも、傷ついた自分の心を封じ込めていると、他者の感情や傷を高い解像度で理解することも難しくしてしまうんですね。

私が根拠もなく恐れていること。訳もなく傷ついてしまったこと。
なかったことにはできないし、しないほうが、かえって人にやさしく寛大になれるのかもしれないですね。

心の基本設定はしあわせ
なにか悪いことが起こらなければ、人の心は穏やかなのだそうです。確かにそうですね。
しかし「なにもなくて、いい感じ」に気づいているかは人それぞれです。体調を崩して健康のありがたみを知るけど、健康なときに毎日感謝してしあわせを噛み締められるかはその人の意識の向け方次第、みたいなことですね。
穏やかな瞬間を高い解像度で喜び、楽しむ習慣は、幸福感を高めてくれます。

私がしあわせで、健やかでありますように。
私の大切なひとが、しあわせで、健やかでありますように。
私を不安にさせるあの人も、しあわせで、健やかでありますように。
私の知らない人すべての人たちが、しあわせで、健やかでありますように。

こんな風に願いながら瞑想することを「メッタ」と言うらしいのですが、前掲の脳科学の検証について触れた書籍でも、このメッタが扁桃体を鎮める効果が強調されていました。

なぜでしょうね。ひとつには、自分を脅かす他者の意図を妄想しなくてよくなるからでしょうか。善き存在と思い定めてしあわせを祈ってしまう。先手必勝。
また、もしかしたら、善き自分の存在感を限りなく大きくできて、自分の在り方に満足できることにもよるのかもしれません。
「他者に差し出せる最も貴重な贈り物は、私たちの存在だ。愛するものたちをマインドフルネスが抱き締めた時、彼らは花のように咲き誇るだろう」
とても綺麗なビジョンですね。
私たちは存在するだけで、周りの人にもう何かの影響を与えています。私が何の意図も向けていなくても、他者は私の意図を憶測しつつ行動しているのでしょうから。
そうであれば、善き意図を向けて、そのことだけで他者の助けになる影響力を選びたいと思います。

善き意図が待たれている
あなたが誠心誠意、他人のために尽くしたいと願っていたら、たいていの人が、「私にできることはありますか?」と応じてくれることは請け合いだ。あなたが本気で他人を助けるつもりになっていれば、その利他主義に人々が感動し、あなたを手助けしたいと願う
人々は奮い立たせてもらいたいのだということを私は学んだ。他人のためになりたいという志や、慈善の行為はすべて、他人を奮い立たせる。
マインドフルネスがここまでつながったら、わらしべ長者ですね(^-^)
安心して自分に思いやりを向けたいと思います。


まだまだたくさんの気づきがあったように思いますが、まずは意識が向いているものについてのメモということで。

かつて感情を開放できない子どもだった私自身と、そんな私の影響を受けて育つしかない子どもたちのために、この本も読んでみたいなと思っています。こちらは急がずゆっくり読もうかな。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

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