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#親キャリ 勉強会 シーズン5第1回 『ひとり旅の物語』 開催報告

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン5 第1回勉強会を2016年7月10日に開催しました。
 
親になっても自分のままでいたい。
働くことのまわりにある意味をつかまえたい。

3ヶ月に一度自分のことを考える時間。
慌ただしいけどたいせつな、いまここをちゃんと感じたい。

1年1シーズンを通してのゆるやかなテーマでおしゃべりをしています。
キャリア理論の紹介や対話を通じて、ほんとうは話したかったことをつかまえる場をつくれたらと続けてきて、5シーズン目になりました。

今季は「ひとり旅の物語」を旅するシーズンにしたいと思います。
両立の先はひとり旅。 
誰かの事例に学ぶというようなことでもなくて、一人ひとりがそれぞれ自身の「ひとり旅」について、語る言葉をみつけたりイメージを深める時間にできたらいいなと思っています。
 
今回は参加者のお一人であるさえさんが、ご自身の物語をシェアしてくださいました。 
さえさんありがとう。
参加者全員で、就職から現在にいたるまでのキャリア年表にそって、さえさんのひとり旅の物語に聞き入りました。
 

はじまりの物語

ストレングス・ファインダーによる強みは、回復志向・調和性・適応性・慎重さ・自我。
「イレギュラーな状況にも適応力高いと言われる、トラブルが起こるとテンションが上がる、褒めてもらえないとやる気が出ない」と自己分析するさえさんの物語です。
 
大学時代は社会心理学を専攻し、就職超氷河期に就職活動、アルバイトをしながらも自治体のインターンシップ・プログラムに参加し、そのままインターン先のシステム会社に就職。
(いつも自然体で、迷いも葛藤もゆっくり溶かしていくようなさえさんは、仕事生活の最初からそこに居たんだなぁとなんとなくうれしく思いながら聴いていました。)
 
石の上にも三年、「お酒が好きでかわいがってもらいました」。その後、会社の買収などで担当していたシステムの大きな変更が予期されるタイミングで円満退社
 
転職活動中には、大学卒業後も参加していた勉強会の先生に紹介してもらって、ふらっと八丈島障がい者の就労施設へ。電話一本で受け入れてくれた現地の人の関係性・時間の流れに、「楽しかった。行ってよかった」としみじみ思う「ひとり旅」だったそうです。
 
その後、現在まで勤務する会社に就職。当時は40人くらいのベンチャー企業でしたが、今は500人を超える規模になりました。カスタマーサポートから異動して、人事部の立ち上げなど、創業者・経営陣の近くで会社の成長とともに激務をこなし、「モーレツ・サラリーマンでした」。
「しんどかったが楽しかった。きつかったけど、やっていることに意味がある実感がもてていました。波に乗っていた、と思います」。
 
産休直前まで遅くまで仕事をして、2011年に第一子を出産、育休を取得。
「マドレボニータや育休後カフェにも参加して、フィットネスにも通ったし、結構順調でした。仕事へのモチベーションもあったし」。
 

震災後、会社が変わった

2011年3月の東日本大震災そのものは、幸いにも生活に大きな変化を与えませんでした。
そして2012年に復職。
東日本大震災のようなことがあると、会社の中ががらっと変わるんですよ。スピード感が早くなり、一人の人が複数の仕事を兼務するようになったように見えました。ずっと中に居た人にとってはそれが当たり前になっていて違和感が無い様子でしたが、会社の中で調子を崩す人がちらほら出ていたり、いろいろとひずみが出ているように見えました」。
 
復職後は、より経営陣に近い場所で秘書的に動き、特命的なミッションも「ホイホイ引き受け」、順調に仕事を再始動したかにみえたさえさん。夫にお迎えも頼めたりしたので、時短勤務ではあるけれど残業もこなしました。
でも評価が上がらない。
黒歴史です」。
 
(そのころちょうど東京駅でおしゃべりしましたね。仕事での伸び悩みと、子どもとの関係性は別の根っこの悩みでもあるね、情熱も能力も経験もある上司に振り回されずに自分の仕事ができるようになりたいね、なんてお互いしみじみした記憶があります^^)
 

傷口に塩を塗る上司。私のやりたいことは

そんな中、2014年に直属の上司が変わります。この部署になって3回目の責任者の変更。
3人目の上司は「傷口に塩を塗るタイプ。指摘内容が本質的で、えぐるような内容」。最初はとても苦手で、話すたびに泣きたくなるほど。
 
けれど、毎週泣きながら面談を続け、本音で話せるようになっていったこと。そして、経営から直接飛んできていた指示の流れを、上司が一旦受け止めるように変えてくれたことで、状況が変わり始めました。
「やりたいことをやればいい、と背中を押してくれました。自分はそれまではずっと経営層の目を気にして仕事をしていたんだなと気付いて。やりたいことができるかも、やっていいんだと思えてきました」
 

今の私を支えてくれている3つのこと

そして2015年に第二子を出産、2016年に人事に復職し、人材開発室で従業員の人事考課と成長サポートを担当。教育という言葉は上から目線のように感じられるので使いたくないといいます。
 
「2回の育休を経て、2回目ということもあり、落ち着いて仕事ができています。勝手が分かるのも大きい。1回目と何が違うかと考えると、いろんな人の支えで今の自分がある中、よかったことが3つあるなと思っていて」。
その3つをまとめてくださいました。

  1. キャリア理論。中でもトランジション理論。何かが終わってから始まるまでのニュートラルゾーンをどう過ごすか。黒歴史時代に知った。独身⇨子供ができて復帰、と状況がガラッと変わったときに、だれにでも悩む時期が誰にもあって、理論にもなるほど研究されていることが救いになった。
  2. 自己肯定感。自分は自己肯定感が低い。誰かに見られていないと、途端にやる気をなくす。自信があるように見せることはできるが、自信がない。一回目の育休後も、自己肯定感が低く、給与を下げていいです、ということも言ってしまった。ママイキで、「YesかNoかは相手が決める」と、問題と自分を分けて考える、ということを言われてそうだなと思った。育休プチMBAで、自信がないのは自分のせいではなく、学ぶ機会がなかっただけ、と言われた。つい男性より一歩下がることがあるのも、あなたのせいでない、という言葉がストンと落ちた。
  3. 人とのゆるいつながり。例えば一人目の妊娠前のコーチング仲間。一年に一度連絡を取るかどうか、というレベルだが、同じことを学んだ人たちとのつながりは大きい。他のつながりもそう。親キャリは連絡とる頻度が高い方。会社以外の友人と頻繁に会う方ではないが、ゆるいつながりがあちこちでできているのは大きい。3人目の上司は、やはり違うことがしたいと一年で人材開発室をやめてしまったが、その人とか、斜め上の上司とか、そういうゆるいつながりが自分の支えになっている。
 

これからのこと。人生の正午が楽しみ

「後に続く人に恩返し・できることを考える気持ちが出てきました。自分でもびっくりしてるんです。真面目なところがあり、苦労してみないと分からない、と思ってしまうところがこれまではあったので、後輩たちに対しても、自分がしたのと同じ苦労をしてみないとよく分からないこともある、というスタンスでいました。カスタマーサポート時代は、鬼軍曹のように何も教えず崖から突き落とす、と言われてもいた私ですが、いろいろな人と知り合う中で、自分ができることって何だろう、とようやく考えられるようになってきました」
 
「会社でも女性の管理職や、育休に入る人が増えてきています。自分の黒歴史のような体験をして欲しくない。自分には意味があったけれど、会社にとっては無意味なので。会社の後輩に他社の方(親キャリで知り合った管理職経験のある女性)を紹介したんですよ。復職して2週間くらいの彼女に引き合わせました」
 
「会社で育休に入っている人が今10人くらいいます。復職後の人が皆頑張っているので、会社は、支援しなくてもできている、と思っているところがあるように思っています。お金をかける・成長をサポートするのは、もっと若手・マネージメント層だ、となりがち。なので、一人で密かに支援の提案を画策していたりもします」
 
「子どもがいるので、次世代を育てているんだな、と実感します。息子たちが大きくなる頃は両立が当たり前の時代になると思うので、奥さんがやってくれて当たり前、という息子にだけはなって欲しくない。そういうことを思いながら生活していきたいと思っています」
 
「これまでは経営層ばかり見て仕事をしていたんだなと。でも仕事ですることは社員やお客様向けなので。誰に向き合って何をするのかを意識していかないとと思っています。大きなこと、新しいことをするのも重要だけど、まだ復帰して2か月。子どもも二人。目の前のことをコツコツやりつつ、誰を見て仕事するのかは意識していきたいと考えています」
 

両立の先のひとり旅

「40歳がまもなく見えてきました。40歳は”人生の正午”という言葉がありますね。40という折り返しをして、自分のこれまで日が当たっていなかったところに日が当たる。そのことを少し前はネガティブにとらえていましたが、どういうところに日が当たるのか、今は楽しみ、40歳が待ち遠しい」
というさえさん。
 
近頃は、人材マネジメントに対して打ち出された会社の方針転換に、少し違和感を感じてもいます。
次のような言葉で物語を締めくくってくれました。
 
「親離れ、の時期なのかもと。常識、固定観念から離れること。自分は慎重派でリスクは冒さない方なんですが、会社を離れるというようなことも悪くないかもと感じ始めています。実際に離れるのかはわからないけれど、今まで築き上げたものと少し違うところに足をかけるのも悪くないかも、と感じ始めています。子どもが成長して大変になることもあると思うのでまだなんとも言えないけれど、もう少し自由、自由というと言い過ぎかもしれないですが、足を親元に起きつつ、違うところに一歩踏み出す、という想いが自分の中にふつふつと湧いてきています」
 
 
さえさんの「ひとり旅の物語」は以上です。
さえさん、お話しくださってありがとうございました。「話してみたことで「親離れ」という言葉が、原稿を書いたときよりもしっくり来ていることに気づいた、話してよかった」と言ってくださってうれしかったです。
参加者のみなさんからは、「八丈島はどんな旅だったの?」「育休後の人が復職後うまくいっているからいいんだ、と思われやすいというのはポイントだと思った」などの感想が相次ぎました。
 
私からは皆さんとさえさんに一つずつ質問をさせていただきました。

みなさんはさえさんの物語を、「何の物語」だと思いましたか

  • 一年ごとにいろいろあってびっくりした。スパンが短い中でいろいろ乗り越えてきたのはすごい
  • 経営者層と仕事しながら、社内、お客様向けに仕事をする、という考えが自分の中にはあまりなく、その強い思いを少し聞いてみたい
  • 日の当たるところが変わっていく、というところに目が向けられたのが素晴らしい
みなさんの言葉を受けて、さえさんから次のような追加のストーリーが語られました。
 
「現場ではお客様を見る、ということが言われているんです。そこでよく注意されるのは、誰を向いて仕事をしているのか、ということ。言われることは分かるし、自分ではお客様を向いているつもり。一方で上司から言われることを聞いてしまうところがあって。仕事上、経営者の言う通りにやらないといけないこともあるけれど、そのやり方が、前は経営者しか見ずにやっていたところを、今は、言われてそれをするとしても、見るのは違う方向だなと感じています」
 
「人事の客は誰なのか?親=経営層が強烈だったけれど、親離れという面が自分の中に出てきている。これから経営者と意見が食い違うこともあるだろうし、そのとき、こちらが自分の顧客だ、と言える距離が出てくるかも。よくも悪くも強烈な親で、同化して言うとおりやろうとしてしまっていた。…もしかして毒親かも?今は反抗期?(笑)毒親と言ってみると、離れていってよい感じがしてきますね」
 

話し終わってみて、話したかったことは何だったと、あらためて思いますか

こちらはさえさんへの質問。次のように振り返ってくださいました。

  • 「親離れ」というワードがヒットした、というのが一つ。
  • 人生の正午の少し前に、苦労したほうがいい→苦労させたくない、という大きな転換があったこと
  • ニュートラルゾーン=喪に服す期間は、次のステージが始まった時に、前のステージが終わったことが初めて分かるということ

話してよかったのは、親離れ。みなさんと話しているうちに出てきた、毒親、とか反抗期とか、そうなのかも、と腑に落ちたところがある、と語ってくださいました。

 

みんなの「親離れ」の物語

それからはひとしきり、参加者のみなさん全員の間で、それぞれの「親離れ」についてのおしゃべりをしました。

  • 優秀な先輩が退職してから、残されたメンバーで必死に背伸びをしている。当たり前に見守ってくれていた親がいなくなって、今まで本当に子どもだったと気づいた。世界が違ってみえる
  • 親というのは、自分にとっては人というよりは常識や固定観念。ここではできないという思い込み。働き方を変えることに興味があるが、口に出したら上司が仕事をつくってみろと促してくれた
  • 事業を創ってきた社長が交代。社長がいなくなり、大丈夫か?とみんな思ったけれど、いざ離れてみると、そのボスのやり方でなくても事業は回った。強引でカラーの強い社長だったけれど、そのやり方でなくてもいけたんだ、と思った
  • その人がいつまでもいるわけではない、ということを前提に日頃から仕事をしている
  • 10年一緒にやってきたチームが上司の定年退職で解散。不安だったが今の上司のところで楽しい。ヨーロッパの人は最低2週間休みを取る。それ以外は、早朝から働くなど熱心。自分が一週間休むと言ったら鼻で笑われた。夜や休日に顧客対応しているのがバカバカしくなった…
  • 会社ではお客様って誰なのか届くイメージもなく、新しい提案が通ることもなく、家から出られないという感じがある。レールがあってもそこから自分は落ちているので、周囲で起きていることに興味が薄れている
  • フリーランスなのでクライアントはたくさんいて、コロコロ変わる親の顔色を伺う感じ。でも読むのは読者。読者も上も納得し、自分もうまくいったと思える感じにしたい
  • 前の上司と離れた時に、上司がやってくれていたこと、親の大切さがわかったことがあった

 
 
ご報告は以上です。
いくつものニュートラルゾーンをこえて、親離れの旅に出ようとするまでの成長や心境の変化、とても真実味に迫る物語を語っていただけて、さえさんってすごいな素敵だなと改めて思いました。
八丈島のくだりはそこだけ夢の中のように切り取られた「ひとり旅」の物語でしたね。
 
発表してくださる方にもいい機会にしていただけるようなので、しばらくストーリー提供から始まる勉強会を続けてみたいと思っています。
私も体験してみたい!とわがままを言いまして、次回は私が話題提供させていただきます(^-^)皆さんに助けていただいて自分の物語を見つけたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
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