積ん読解消月間(11)『鏡と仮面』
鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学 (SEKAISHISO SEMINAR)
- 作者: A.L.ストラウス,Anselm L. Strauss,片桐雅隆
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2001/03
- メディア: 単行本
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授業で読んだ本を積ん読シリーズに入れるのはなんですが。
社会心理学とありますが、心理学というよりは社会学的な視点からアイデンティティを考えるやりかたがじわじわと理解できるような本でした。
鏡とは何で、何が仮面なのか。
じつははっきりとは解説されないんですよね^^;
アイデンティティとは、「私」とは。
他者や社会という鏡に映った姿の反映であり、また他者や社会を映す鏡である。
本当の私などというものはなくて、そのときそのときの舞台にふさわしい仮面をえらぶようなものである。
そんなことかなぁ。(これ、見当はずれだと単位もらえないかもしれません。。。)
「I(アイ)」としての私が、「me(ミー)」として鏡に映る私を見ている。
「me」を見たことで、「I」としての在り方や行動が変化する。
その変化がまたすぐに「me」として映し返される。
さらに鏡は無数にあり、そのひとつひとつの鏡も変化する。
自分の過去や未来さえも鏡である。
そういう連続性。連鎖性。相互作用。
何かに思い入れて所有するということは、所有されるということでもある。
所有するものを「私」という鏡に映してみせることで「私」が確かになる。ときにそのような何かを失うことは、「私」が失われることでもある。
モノやカネかもしれないし、人間関係もそういう対象になる。
もしかしたら過去や未来も所有する対象になるかもしれない。憧れたり期待したり思い描いた未来。それが何かの状況変化によって失われることはある。そのことが現在の「私」に危機をもたらすことがあり得る。
一方で、「私」が変化することによっても、所有しつづけたままのそれを失うことがある。
変わらないということは、変わり続けるということ。そういうことかな。
アイデンティティが変容するということがありうる。かつての自分ではないと思うような自分になること。
思いもよらない変化のシグナルを解釈できるか、が条件になることがある。
時に何かを手放すこと、その時期の不安定さをやり過ごすことが必要なこともある。
教えを請い、道を委ねるべきタイミングがある。
憧れや依存から、自ら距離を置くべきタイミングがある。
変容がいいものかどうかはわからない。でも一度世界の見方が変わってしまった後、白紙の状態にまで戻すことはできない。
変わってしまっても構わない、と思いきらなければ、自分のこの狭い世界を拡げることはできないなぁとずっと思ってきたけど、なぜそういう風に感じるのかその理由が少しわかった気がしました。
一方で子どものころはずっと、変わることが怖くて、世界を狭くしよう狭くしようと思っていた気がします。その理由も。
私は変われない、と思う部分ももちろんあったけれど、変わることで目の前の世界を失ってしまうのが怖かった部分もあったんだろうなぁと今は思います。
私自身の感想もまとまりませんが。この本もエッセイなので^^
いろいろと考えさせられてお気に入りの一冊になりました。