いまここノート

いまここの記憶

育休復帰後のお荷物感はどこに消えたのか

今日は季節らしい思い出話。

先日、育休復帰を控えた方とおしゃべりをしていて、
「もう自分はお荷物なんじゃないかって思ってしまって」
というフレーズが心に残りました。

私もそうだったなぁ。
とくに一度目の復職後はどんな働きをしたらお荷物感が消えるのか、そればかり考えていました。

でも3度めの復職を控えた今はそうでもありません。なぜかしら。
そこで「育休復帰後のお荷物感はどこに消えたのか」という謎について、久しぶりに探偵しごとをしてみます(^-^)

◼︎お荷物感はいつ消えたのか

一度目も二度目も復職時は部署を異動しました。
これから先の貢献が長いことを疑わずに新しい仕事を覚えさせてくれた上司や同僚に感謝するばかりです。

最初の復職時は1年半、二度目は1年ほど勤務しましたが、お荷物感が消えたのは二度目の復職後半年経ったころだったかなと思います。
それは青天の霹靂ではなくて、そこまでにはいくつもの伏線とありがたいサポートがありました。

◼︎時短勤務者が主戦力の職場

最初の復職時、異動先の上司の2つの言葉で肩の力が抜けたのを覚えています。

『会議は50分、9-17時の間を標準にしています』

時短勤務の方が他にも何人か居て、その先輩たちがとても優秀な方たちだったので、彼女たちが主戦力になれる職場を本気で目指していました。
先輩方が具体的に要望したことでもあったのかもしれません。

残業ができないことを理由とした2級労働者扱いはそこにはありませんでした。

◼︎異質な視点という価値

時短勤務かつ異動者の私に居場所をつくってくれたもう一つの言葉は次のようなものでした。

『この部署は純粋培養の人が多いから、他部署・他職種の経験からみて違和感のあることは何でも言って。無駄なことを続けてることもあるはずだし、異質な視点提供が役割だと思って発揮して。』

遠慮して言わなかったことも、まず言ってみるようになりました。

復職時に異動がなく元の職場や職種に戻ることによって、休職前の蓄積でアウトプットしやすいということは当然にあると思います。
一方で他の条件が変わらない中で自分の使える時間だけが短くなるというのは、人によっては出産前の自分基準と比較して、できなくなったことや、微妙な扱われ方の変化に意識が向きやすい環境にもなるような気がします。

異動してそこで異質な視点を提供するというミッションは、極端にいえばそこに居て息をしてるだけでも価値の源泉になるので、私にとってはありがたい期待のされかただったと思っています。

もちろんこの部署での業務は新人レベルなので、お荷物じゃないとまでは思い切れませんでしたが、異動すれば最初はこんなものだよねという諦めとともにコツコツとがんばれたようにも思います。

◼︎アウトプットしたい

と、ここまで書いて、一度めの復職後の勤務ではもう一回異動したんだった、と思い出しました。

復職して一年が経ち、希望が叶っての異動だったので、二度目の産休を控えて残り半年しか勤務できないことが本当に残念でした。

そして、再びの「振り出しに戻る」感は思った以上にしんどくて、挫折感とお荷物感いっぱいで二度目の産育休に入りました。
今思えばアウトプットの手応えに飢えていたんですね。
憧れの仕事だっただけに何をやっても実力が足りない感じが余計に堪えました。

◼︎見えやすい成果と見えにくい成果

挫折感と9時ー5時勤務の健全さとをしっかり味わっての二度目の復職は、また異動して新しい上司と組むことになり、最初の面談で次のように告げられました。

「周りにはっきり説明できるほどの成果をあげてもらわないと、この役割等級は維持できないから」

お給料分の責任を問われるのは当たり前とわかりながらも、過去の働きで信頼してもらえない部署に異動するってこういうことかとショックと強いプレッシャーを感じたのを覚えています。

同時に、育休明け時短勤務という立場にどこかで甘えてきていたことにも気づきました。できない理由、やらない理由にし過ぎていたかもと。

商品開発チームのリーダーと、新規セミナーを開発して講師をつとめる、というふたつの役割で、周りからも認められる実績をあげることを約束しました。
会社ではMBO(目標による管理)が浸透しているので、他の目標とともに達成基準を明確にしました。

以前の私だったらそういう表に立つ仕事はかなり消極的になったと思いますが、2つの理由からがんばってみることにしました。

一つは、このできない、やれない、こわいというような気持ちがある限りは「お荷物感」は消えないかもという予感。

もう一つは、育休中に関わったワークショップや勉強会で、私も生きてる時間相応になにか経験を積んできたんじゃないかという自分への期待。

◼︎結果の出来よりも、成果に向き合ったことで

開発チームリーダーとセミナー講師、どちらの仕事も紆余曲折あって、とてもスマートにとは言えませんでしたがなんとかやり遂げることができました。
サポートしてくれた上司と先輩には、感謝してもしきれません。

この2つの仕事は、会社としての正解を誰かに渡す仕事ではなくて、私個人の資源を使って私が選んだことが正解になる仕事があることを教えてくれました。

セミナーが終わって、見学してくれていた新人の後輩が、すごくよかったです!と伝えに来てくれました。率直で、納得したことしかやらない彼に褒められて、尊敬できる先輩に私自身がなる時期がきたんだと理解しました。

◼︎お荷物感は遠慮と一緒に消える

たぶん、お荷物感はその時に消えたんだと思います。
私自身の、遠慮するきもちと一緒に。

「私なんか」と言いながら、誰かのつくった正解に自分を合わせようとしていた頃の私は確かにお荷物だったでしょう。
とても反省しています。

そして、仕事や成果基準は誰かがつくったものなのだということ、私自身がそれをつくって説明することが成果になることを初めて理解しました。

出産などのライフイベントを経験した女性はそうでない人々よりも、ユングが人生の正午と喩えた転機を早期に迎え、生きる幸せについて考える機会を比較的早めに得るような感覚があります。
その豊かさには感謝しつつ、仕事経験が不足するゆえのある種の未熟さとともに「仕事人生の思春期」を迎えてしまうことの危うさは自覚しておきたいと感じました。

当初は遠慮と怖れのきもちでいっぱいでしたが、覚悟を決めて成果を出すことでしか癒されないものがいわゆる両立生活にはあるのではと。

私はお荷物かもしれない、という心の荷物をおろして、仕事や成功基準を自分でつくること、遠慮せずにむしろ会社から資源や支援を引き出すことで、きっとお荷物感を消していくことができると今は信じています。
(でも乳児を抱えて復職している方は、朝まで寝られるようになるまではだましだましでいいと思います(^-^)人それぞれのペースで体力は回復しますからそのあとで。)

次の復職後こそはがんばってみます(^-^)