「行い」を愛するということ
『好きなことをし、自分がしていることを愛せよ』
これ、どこから始めたらいいのかなって、ちょっと思ったんです。
愛するのは、ただそこに存在する自分、ではなくて。
自分の「行い」なんですね。
でも好きなことをすることを自分に許したり、その手前で自分がなにを好きなのか?に耳を澄ますには、「ただそこに存在する自分」を受け入れて愛せることが必要なのかなとも思えてきて。
なにもできない赤ちゃんて、カンペキな存在だなぁって思うんですよね。人がそのカンペキさを少しずつ失いながら成長するのはなぜなんでしょう。
不確実性、可能性が減っていくからなのかな?
じゃあ、いつでも、いつまでも変化すると思えれば、カンペキなままでいられるのかしら(^-^)
今の、いままでのあなたも、これから変わっていくあなたも、たいせつだよって伝えることなのかな。
もうひとつ思うこと。
その「行い」が好きか?は行ってみて初めてわかるかも。
だからやってみること。
そして違ったら、次の行いに移ること。
その行いが好きか?はその「行いをしている自分」が好きか?ってこと。
それが永遠に自分探しにならないようにするには、どうしたらいいかしら。
自分から出ていくものと、外から返ってくるものの両方が好きか?それが循環するか?に心を澄ませていれば、積み上がっていくかなぁ。
誰かの役に立つことは素晴らしいけど、自分が好きなことで役に立てることを見つける方が、世界に加えられる価値も大きくなるから。
好きなこと、それをおこなっていると自分をよりよく表現できると思えること。
そういうものを増やして、いつまでもカンペキなこどもたちでいてほしいなぁ。
などととりとめもなく。
見えない流れ星が降る夜に(^-^)