認知的不協和理論と感情のホームポジション
『認知的不協和の理論―社会心理学序説』という本を読みました。
積ん読解消のメモがてら感じたことを。
◼︎認知的不協和の理論とは
認知的不協和の理論とは、人は自分の中に生じた矛盾する認知に居心地の悪さを感じ、不協和を解消しようとする、というもので、本書の著者であるフェスティンガーが論じ、現在も広く受け入れられている社会心理学の概念です。
それまでもっていた信念や行動と、新たに得た事実と思われる情報が矛盾するとき、その不協和を解消したいという心理的圧力が生じます。
興味深いのは、不協和をおこした2つの認知のうち、人は自分にとって変えやすい方を変えるというところです。
◼︎行動を変える
まずシンプルに、現実だと思われる情報に、行動を合わせる方策があり得ます。
たとえば喫煙者が発ガンリスクを知り禁煙する、というような行動があてはまります。
◼︎事実情報への認知を変える
一方で喫煙行動は変えずに、喫煙者でも長生きする人はいる、交通事故の死亡率の方が高いなどの情報を加え、不協和を低減させる方策があり得ます。
彼、彼女は、喫煙をやめたくない、またはやめられないから現実についての認知を変えるのです。
人は行動を変えるハードルやリスクが高い時、意固地とも見える往生際の悪さに陥る可能性があります。古い信念を妄信し、過去のやり方にしがみつきます。
ひとに変化を望むなら、失敗を許し、退路や新しい居場所をつくることがとても大事なのでしょうね。
◼︎人は自分が見たい世界に生きる
また、認知的不協和を避けるために、人は既にもっている認知と協和する情報を多く認知するのだそうです。
車を買った人は、買った車のパンフレットを集め、自分がよい買い物をしたことを確認することを心地よく感じます。
笑う門には福来たる、などというのはそういうこともあるのかな?なんて感じました。笑っていると、笑うに値する手がかりをよくみつけるのかなって。
みなさんの感情のホームポジションはどこでしょうか。どんな世界を引き寄せていますか。
◼︎傷ついたことを認める
笑顔の世界に住んでいたい思いと同時に、目をつぶるかもしれないもののことを考えます。
それは、自分が傷ついたことを認めるのは思いのほか難しいかもしれないということです。
不当な扱いを受けたという事実は、自分には価値があるという認知と不協和しますが、自分にはその価値がないからと自己評価を下方修正することによってもその不協和は解消されてしまいます。
または不当な扱いなど受けていない、そんな扱いは存在しない、私の気のせいだ、という解消の仕方もあるでしょう
自分は傷ついたと認めることは、不協和を別の方法で解消する必要を引き受けることでもあるからきっと難しいのですね。
オチもなくつらつらと書きました。
人の認知というのはあてにならいし、世界ってあいまいなものだなぁというようなことを考えました。