いまここノート

いまここの記憶

積ん読解消シリーズ『Search Inside Yourself 』

Google で実践されているEQ開発のためのマインドフルネス(瞑想)プログラムの開発者が、その実践方法や背景にある理論を詳細に紹介してくれている本です。素晴らしい内容です、おすすめです。

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

エクササイズがたくさんあるので、紙の本で買えばよかったかも。ていうか買い直すかも。


マインドフルネスとは
マインドフルネスとは、どこか別の場所に行くことではなく、今すでにいる場所に完全に存在し、その完全な存在と意識の力を、今この瞬間に意識することなのだ。
特別な状態に達するためではなく、時間という枠を完全に外れ、気づきそのものの中にただとどまるために。
「無為 non doing」や、心を開いて今この瞬間に生きること、純粋な気づきの実践であり、思いやりとは一体不可分だ。
人と人のつながりや頼り合いの経験への入り口であり、その経験が、EQに基づいた行動や、新たなあり方、最終的にはより大きな幸せ、明瞭さ、知恵、優しさにつながる。
何はさておき、おおいに平穏で、幸せで、思いやりに満ちた心
穏やかな心と冴えた頭、そしてやさしさのやりとりに開放的になれたら。
すごく自分が善き存在に感じられるだろうし、しあわせだろうなと思います。
しあわせになりたい。お目出度くなっちゃっていいんだなと思いました。

著者のメンさんはエンジニアなので、神秘の体験を客観的な用語に置き直すのがとても上手です。
「情動のプロセスを高い解像度で知覚すること」
がマインドフルネスの鍵だそうです。
言葉や頭だけでなく、身体が気づいていることにも意識と思いやりを向けていきます。

心の中の獣を飼い慣らす
読んでよかったなぁとまず思うことは、平常心でいられないような情動のトリガーにどう対処するか、についてひとつの具体的な実践方法の示唆が得られたことです。

ひとは危険を感じると、脳の扁桃体だかが腫れて、闘うか逃げるか状態になってしまうらしいです。そう言われてみると、自分の扁桃体が腫れていることを感じることができます。なんとか鎮めたいです。

瞑想によって扁桃体の反応が落ち着くことが脳科学的な検証からわかっているそうです(このことは別の書籍からマインドフル・ワーク 「瞑想の脳科学」があなたの働き方を変える

自分の心をサーチして(Google だけに。洒落たネーミングですよね。)、自然に起こってしまう情動に気づき、その存在を許してやり、それでいて経験している出来事の認知や解釈を歪めさせることと切り離す。

情動という怪物に、自由にそこに居させてやりながら、餌はやらず、依存せず、自由に去らせてやるというメタファーが書籍の中では語られていました。

私自身、ずっと昔に <トリイ・へイデン文庫>シーラという子--虐待されたある少女の物語 (ハヤカワ文庫 HB)という本を読んでから、心の中の獣をいかに飼い慣らすか?というイメージをずっともっていて、苦しくて。だからとても癒されました。

獣はそこに居ることを許されたいんだ。許していいんだな。
でも餌はやっちゃいけない。
そして、去ろうとするなら手放してやらなくちゃいけない。

なぜ人(なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践 )が教えてくれたように、不合理に見える感情や行動も、不安に対処しようとする裏目的には合理的なんですよね。
心の中の獣は私を守ろうとしてくれている。獣に依存してないか、自分に問いかけました。

マインドフルネスは、自分の感情を許し、感情と経験が教えてくれることの両方と穏やかに会話できるようになることだと理解しました。そうなりたいです。

誰であれ、自分とおんなじ人間
マインドフルになり、浮き沈みのある自分の取り扱い方を知ると、コントロール感が得られて、不完全なままの自分にも自信をもつことができるそうです。

そして、そうした自分への高い解像度での理解や思いやりを、他者とよい関係を築くことに転換できます。

その入り口は、「誰であれ、他者はみな、私と同じ、感情や意図や願いや痛みをもった、人間である」ということにいつも思いを致すこと。
「そうでないことがはっきりとするまでは、誰もが私利私慾も、腹黒い意図ももっておらず、分別ある行動がとれる」と信頼すること。のようです。

それができたら、きっと、相手の意図を深読みして防衛的になったり、責めたくなったり、しにくくなりますね。
カギとなる洞察は、影響は意図とは違うということだ。
私たちはたいてい、自分のことを自分の意図で評価するが、他人のことはその人の行動の影響で評価する。
私が誰かの行動によって傷ついたからといって、相手に傷つける意図があったとはまったく限らない。
そのことはよく知っていたけれど、だから傷ついちゃいけないんだと思ってました。でも、傷ついた自分の心を封じ込めていると、他者の感情や傷を高い解像度で理解することも難しくしてしまうんですね。

私が根拠もなく恐れていること。訳もなく傷ついてしまったこと。
なかったことにはできないし、しないほうが、かえって人にやさしく寛大になれるのかもしれないですね。

心の基本設定はしあわせ
なにか悪いことが起こらなければ、人の心は穏やかなのだそうです。確かにそうですね。
しかし「なにもなくて、いい感じ」に気づいているかは人それぞれです。体調を崩して健康のありがたみを知るけど、健康なときに毎日感謝してしあわせを噛み締められるかはその人の意識の向け方次第、みたいなことですね。
穏やかな瞬間を高い解像度で喜び、楽しむ習慣は、幸福感を高めてくれます。

私がしあわせで、健やかでありますように。
私の大切なひとが、しあわせで、健やかでありますように。
私を不安にさせるあの人も、しあわせで、健やかでありますように。
私の知らない人すべての人たちが、しあわせで、健やかでありますように。

こんな風に願いながら瞑想することを「メッタ」と言うらしいのですが、前掲の脳科学の検証について触れた書籍でも、このメッタが扁桃体を鎮める効果が強調されていました。

なぜでしょうね。ひとつには、自分を脅かす他者の意図を妄想しなくてよくなるからでしょうか。善き存在と思い定めてしあわせを祈ってしまう。先手必勝。
また、もしかしたら、善き自分の存在感を限りなく大きくできて、自分の在り方に満足できることにもよるのかもしれません。
「他者に差し出せる最も貴重な贈り物は、私たちの存在だ。愛するものたちをマインドフルネスが抱き締めた時、彼らは花のように咲き誇るだろう」
とても綺麗なビジョンですね。
私たちは存在するだけで、周りの人にもう何かの影響を与えています。私が何の意図も向けていなくても、他者は私の意図を憶測しつつ行動しているのでしょうから。
そうであれば、善き意図を向けて、そのことだけで他者の助けになる影響力を選びたいと思います。

善き意図が待たれている
あなたが誠心誠意、他人のために尽くしたいと願っていたら、たいていの人が、「私にできることはありますか?」と応じてくれることは請け合いだ。あなたが本気で他人を助けるつもりになっていれば、その利他主義に人々が感動し、あなたを手助けしたいと願う
人々は奮い立たせてもらいたいのだということを私は学んだ。他人のためになりたいという志や、慈善の行為はすべて、他人を奮い立たせる。
マインドフルネスがここまでつながったら、わらしべ長者ですね(^-^)
安心して自分に思いやりを向けたいと思います。


まだまだたくさんの気づきがあったように思いますが、まずは意識が向いているものについてのメモということで。

かつて感情を開放できない子どもだった私自身と、そんな私の影響を受けて育つしかない子どもたちのために、この本も読んでみたいなと思っています。こちらは急がずゆっくり読もうかな。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全


いやならやめてもいい

「参加してもいい、嫌ならやめてもいい」ポジションに留まることって毒そのものだなぁと思ったので、自分を諌めるためのとりとめのないメモ。メモだけど言いわけを断ち切るためにあえて公開。とりとめがないです。

「参加してもいい、嫌ならやめてもいい」。
でも、それってまるで「母親が働くこと」みたい。自由の正体、というだけの話だけど。

ぜんぶほんとの望みなんだけどな。
なのに、経験も知恵も、それを埋める時間も体力もたりないきもち。そしてそれが言いわけだってこともわかってる。

言いわけをする度に傷つくのは自分。
環境にうながされた面はあるとしても、決めたのは自分だもの。
「いやならやめてもいい」
誰にきいたってそんな言葉しか返ってこないと思う。でもやめたいわけじゃない。

だからほんとのほんとにたりないのはきっと、選択と集中、そして腹ぐくり。

だれかに頼ったり力を借りるためにも、本気が必要と感じる。本気の腹ぐくりがないから頼れない。自分ひとりでやれる範囲でやれることを、とまず考えてる。

わたしの履いてるいくつものわらじ。いくつもの中途半端なプロジェクト。
焦らず、自分の心と体に余裕でおさまる分だけにして、あとは手放す。
ほんとに?ほんのひとくち分ずつしか残らないよ。。でも心と体からあふれた分が毒になるくらいなら、そうした方がいいんだろうな。

またはうんと拡げる。だれかとシェアしなくてはやれないプロジェクトにしちゃう。このほうがおもしろいかも(^-^)(でも億劫だな。)

ぐるぐるするばかりで日々が過ぎていく。いったい何がしたくて、何がいやなの?私だって自分に聴きたい。

ふと。私が「親キャリ」という場を、汎用的なテーマを志向する一方で、あえて「親になったわたしたちのための」としてきたのは、自分自身のこういう言い訳の足踏みを、繭に包んでおきたかったからなんだと思います。
親になっても自分自身でいたい。
心に正直でいたい。
自分の足で立っていたい。
それがむずかしい季節にも。

でもそこには「何者にもなれない、ならない」ことへの言いわけが染みついてもいて。
「わたしは十分に強い」
「必要なものはすべてもっている」
にシフトする時機がきているようにも感じます。

でもそう言い放つことがとてもこわい。
自分には何かが欠けていると思いたい。何かが欠けたままでも、1mmも前に進まなくても、それでもいいんだと。いまこの瞬間にもう価値があって、世界は満たされてる。

十分に強くて、決定的に欠けている。
たぶんそれは同じ意味だったりするんだろうけど。

そういう揺らぎをあからさまにすることなく、空気に漂わせておきたかったんですよね。言葉にすれば弱さにしかならないから。

ひとは誰しも弱いもの。助けを求めればいい、助けあえばいい。いまは返せなくても、誰かに恩をおくればいい。
弱さを認めることで恐れを手放せる。
自分には人に渡せるものがないと思いこんでいるから、人から何かを受け取らないようにしている。

どれもきっと正しいんだと思う。

でも簡単に弱音を吐かさせないでほしい。
隙のない姿勢で立っていたい。

そういう気持ちが強すぎるんだろうな。介入されることがとても苦手。
それはあなたのカタルシスであって、私のじゃない。
ほんとうの善意と、善意の顔をしたコントロールをていねいに仕分けする。その両方に心から感謝しても、すべてを受け取る必要はなくて、なにもかもに影響を受ける必要はない。うけとってもだいじょうぶな善意はしっかり心で受け取る。

自分だけで扱える範囲に留めておきたいというVOF(恐れの声)を自覚しつつ、丁寧で自立した在り方でいられたらな。

今ここにない、未来

未来のこと。
未来はどこにあって、いつ生まれるのかなというようなことを考えていました。

そして、未来というのは、世界が塗り変わる感じ、なんじゃないかと思えてきました。

世界は、観るひと一人ひとりがつくっているもので、ちょっと角度をかえるだけでがらりと変わってしまうもの。
客観的にみえる情報も、様々な社会的な背景に意味づけられています。
自然科学的なデータでさえ、測定技術や評価技術というフィルターにかけられたものが多くあるのかなと認識しています。

すでにわかっていること、予測可能な前提や因果律をもとに行動したり考えたり感じたりしているとき、ひとは現在という時間にいながら、過去の枠組みで世界を生きていると言えるかもしれません。

そして未来を感じる瞬間というのは、前提や因果律がくつがえされて、それでもなおその世界で生きていこうと思えるような時なのかなと。

open mindで他人事だった世界を観て、
open heartで過去の自分をゆるしながら、
open willで傷つきながらも新しい世界を歩いてみる。

未来は、いまここには無くて、いつも自分の世界の外側にあるもの。
そして、それが自分にとって親しい未来になるかどうかは、いまここのわたしの個人的な在り方次第。
そんなふうに思えてました。

#親キャリ 勉強会 シーズン4第3回 『未来に踏み出す瞬間、未来が知っているいまここ』

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン4 第3回勉強会を2016年2月14日に開催しました。
バレンタインデーに多数のご参加、ありがとうございました。みなさんへ愛を込めて。

3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
 
今季のテーマは『時間旅行』でした。 
過去、現在、未来、そしていまここ。
 
過去、現在、未来と、いまここ
第1回は「過去」への旅、『ルーツと転機』を巡る旅。
何を望み、何をたのしく感じる自分だったかを感じ直しに行きました。
「初心に返る」と言いますが、もっと根っこに戻って、ただ楽しいときの心持ち、夢中になるときの感じを感じ直して、心にホールドしていることって大事なのかなという気がしました。

第2回は「現在」のパラレルワールドを旅しました。『手放して、迎え入れる』。
がんばっている自分、こうでなければいけないような気がすること、なんとなく過去から続いているいま。なにかをやめてみて、ぎゅっと握っていた手のひらを開いたら、何がほどけていく?何がすべりこんでくる?
手放してみてはじめてわかるような執着に、もしかしたらいまこの瞬間も縛られているのかもしれないという予感と、執着を手放してぽっかり空いたスペースに迎え入れられることを待っている、何かいいものの気配とを、みなさんと感じました。

そして、今季最終回となる今回は「未来」への旅です。
『未来に踏み出す瞬間、
   未来が知っているいまここ』。

未来の存在感
未来を考えることについての気持ちを、事前にアンケートしてみました。

ワクワクする方、苦手意識のある方、どちらとも言えない方、それぞれ同じくらい。コンディションによる、という声も複数伺いました。
誰にとっても安心で、楽しい機会にしたいなと思って場にのぞみました。

私自身は、未来、にかなり苦手意識があります。いまここに在る自分が嘘のものになるのがこわくて、過剰に身構えてしまいます。
そうではなくて、「いまここ」をほんとうのものにしてくれる未来。「いまここ」が意味深くなったり、足場が確かになるような未来。そういう未来の存在感がきっとあるはずだし、そういう付き合い方のコツを私自身がつかみたいなと思って企画をしていきました。

フューチャーセッションからの学び
未来への苦手意識を克服したくて、2〜3年前くらいの一時期、フューチャーセッションの界隈にちょっぴり足を運んだりしていました。
第一人者の先生に向かって、外向的なワークが実はしんどいですとか失礼な感想を言い放ったりもしながら、自分たちでもフューチャーセッションもどきを開催してみたりもして、「未来」を考える意味とコツが少しずつわかってきたような気がしました。すごく乱暴にまとめるとポイントは2つ。

  • フォアキャスティングからバックキャスティングへの視点の切り替え
  • 「ほしいと願う未来」と「未来への選択肢」をリアルに感じること
あとひとつ、多様なステークスホルダーの視界や文脈合わせ、というようなことが本来のフューチャーセッションでは大事になる気がしますが、今回は一人ひとりの地図が描ければいいので割愛。

この2つを、仕事や私生活における個人的な行動指針の選択というミクロな文脈にどんな風にアレンジできるかな?というのが、今回の旅の着想でした。

バックキャスティングと「選択」
フォアキャスティングは現在が描く未来への道のり、
バックキャスティングは未来が描く未来への道のり、
と理解しています。

バックキャスティングに視点を移せるかどうかは、どれだけ手触り感のある具体的な未来の情景を描いて、本当にそこに立っているほどのリアリティをもてるか、ということに左右されると感じていて、フューチャーセッションではそのための様々な手法が使い分けられていると思っています。

ほしい未来の景色を鮮やかに詳細にくっきりと描くと、過去や現在の延長として予想したのとはまったく違う未来の可能性があり得ることに気がつきます。
そして、未来への道のりはすでに1つに決まっているのではなく、じつは幾筋にも分岐していて、まだ選び直したり切り拓いたりできることに気づきます。
思いもよらなかった第一歩をその場で決めることさえできたりします。

どんな内容であれ未来には2種類しかありません。「漫然と迎える未来」と「願って選択した結果の未来」です。

未来旅行
そんなことを考えながら企画した今回の「未来旅行」でした。

前半は「いまここからつながる未来」。
久しぶりのご参加のルーシーさんにお願いして、現在のルーシーさんという「未来」をつくった瞬間や習慣、をゆるやかなテーマとして、ご自身のキャリアストーリーを語っていただきました。

後半は「未来が知っているいまここ」。
いよいよ未来に降り立って、バックキャスティングをしてみました。
以前一緒にフューチャーセッションを開催したいちのせきさんにワーク設計を手伝ってもらいました。

じつは、第1回の過去への旅、第2回のパラレルワールドへの旅、そして今回の前半のプログラムまでは、バックキャスティングをしたときに未来の自分からのメッセージを受け取る準備のつもりでした。
いまここの自分の在り方がほどほどに緩んでいて、肯定感をもちつつ他の在り方の可能性も感じているような状態、土壌が豊かに耕されていて新鮮な空気を含んでいる状態をつくってから、未来の種を蒔きたいと思っていました。
各回でストーリーシェアをしてくださった方々の人生の豊かさ、多彩さにも触発されて、私自身の土壌はかなりほくほくしていい感じでした。みなさんありがとうございました。

ルーシーさんのストーリー
ルーシーさんには突然のリクエストに快く応じてくださり感謝しています。
「未来と私」的なテーマでなにかお話いただけませんか〜というとってもユルいリクエストを差し上げたのですが、わかりやすく、コンパクトかつ内容深いストーリーを準備してシェアくださいました。

先取りするようですが、締めくくりにおっしゃっていた言葉が私にはとても印象的でした。
"未来を能動的に変えてきたわけじゃない。でもたしかに前よりも今、良い場所にいる。だからなにかあるんだろうと思って、お話しする内容を考えました。"
ほんとに、きっと誰もが、良い未来を引き寄せる「なにか」をもってるんだと思います。
改めて、ルーシーさん、ありがとうございました。

まずキャリア年表を披露くださり、これまでのお仕事歴や出産前後のことから、最近のお仕事環境のうれしい変化についてまでをご一緒にたどりました。

おしとやかな雰囲気に似合わず?好奇心が旺盛でフットワークの軽い方なんだなとあらためて思いました。(ギャップ萌え)
キャリアの初期には、そんなルーシーさんが求める手応えが仕事からは必ずしも得られなかったそうですが、それならそれでと社外で様々なスキルを学び、いろんな人に憧れてその世界を素直に吸収していかれたことがルーシーさんらしさであり、間違いなく今のルーシーさんをつくっていると思いました。

フットワーク軽く興味関心に従うこと、人から影響を受ける素直さ、欲求に自覚的であること、ずっと願い続けているからチャンスを逃さず掴みに行けること、どれもルーシーさんの「未来を変えた習慣」なんですね。
"外からくるものは大きい。なにか意味がある。ちょっと無理してでも機会に乗るようにしている。"
ともおっしゃっていました。
今回の無茶振りもポジティブに受け入れてくださってとても嬉しかったです。

「欲求に自覚的になる」という習慣について、参加者の方から質問が投げかけられましたが、それはこんなことだと説明くださいました。
"欲求というのは互いに矛盾しているもの。仕事も思いきりしたいけど、子どもと過ごす時間も大切。何が自分の本当にやりたいことかは簡単にはわからない。だから「もやもや」は心の中で言葉にするけれど、簡単には口に出さない。"
なるほどなぁ、と思いました。軽やかだけれども穏やかさをたたえているルーシーさんの魅力の理由がひとつわかった気がしました。

また、キャリア年表の中から「未来に一歩踏み出した瞬間」をとりだしてシェアしてくださいました。

ひとつめは悔しさを飲み込んだ瞬間。
もうひとつはチャンスを掴んだ瞬間。

「私にもやらせてください」と言えなくて悔しい思いをした経験が、上司に来た依頼仕事を「私がやります」とすかさず受けにいく未来に結晶化する。
悔しさも勇気も、どちらも未来に踏み出す瞬間なんだなぁと感慨深くお聴きしました。

上司の代わりに登壇した業界の講演会。"自分と同じ仕事をしているひとと初めて会った"そうで、次のキャリアのヒントが得られたり、新たな機会に声がかかるようになったり、思わぬうれしい拡がりがまだこれからも止まりそうにないご様子に、ピースがはまって歯車が噛み合って動き出す瞬間というのがあるんだなぁとぞくぞくしました。

そしていまルーシーさんには、たくさんの可能性の未来が見えるそうです。
「10年時間をかければ今とは違うどんな仕事でも出来る」とも言われますが、これからは50年働く時代、まったく違う自分になっちゃうことも、きっとほんとにあるんでしょうね。

フューチャーインタビュー
ルーシーさんのストーリーに触発されてもっといろいろとおしゃべりしたかったのですが、今季のテーマの集大成、バックキャスティングのセッションにもチャレンジしておきたくて、後半のプログラムに移りました。

後半はフューチャーインタビュー。
「願いが叶った未来」にタイムスリップして、未来の自分にインタビュー。
どうしてそんな場所に来れちゃったのか。そこはどんな景色で、さらにどんな未来がみえちゃう場所なのか。

セッション構成はいちのせきさんが最近受講したという研修からお借りしてきました。なので詳細は割愛しますが雰囲気だけでも。

あなたはなんでもできます。
願いを口にすると不思議と助けてくれるひとがたくさんあらわれます。
いま、どんな願いがかなっていますか。
こんな問いかけから未来に出発します。
それはいまなら何年後の世界で、そこにいるとどんな会話があって、どんなことをしているのか。具体的にイメージしたら立ち位置を移動して、問いを変えます。

そこにたどり着くまでにいろんな苦労があったと思いますが、どんなことをしたんですか。
誰のどんな助けがありましたか。
未来の私はそこまでに歩いてきた道のりをちゃんと知っています。
自分がどんな未来を望んでいて、そのためには何をしたらいいか、私たちはほんとうはもう知っています。もう知っている未来(knowing)の声だけを聴く問いかけです。
そこまでの道のりが見えたらまた立ち位置を変えます。

その間、いろんな人がいろんなことを言ってきたと思います。どんなことを言われたり訊かれたりしましたか。
その言葉にあなたはどんな風にこたえましたか。
何かを変えるときや願うときには、自分の外からも内側からも、批判的な声や諦めの声、心配する声が聴こえるものです。その声に向きあって、準備をしておくことで、未来への道がクリアになります。

最後に、最初の立ち位置に戻ります。もう一度そこからの景色を見渡すと、願った未来のさらに先にある未来がより鮮やかに見えているかもしれません。

みなさんそれぞれ、意外な未来やもう知っていた未来への道筋や、そこからの景色が一層鮮やかになる経験ができたのではないでしょうか。
いちのせきさん、素晴らしいセッションをありがとうございました。

デザインとドリフト、ホープとミスト
キャリアデザインには、いろんな季節というかタイミングがあると思っています。

そのことについて、「デザイン」と「ドリフト」という見方があります。人生には、自分の心の声を聴いて慎重に計画したり選択したりする必要がある時期と、ただ目の前のことに打ち込んだり、起こることにオープンでいればいい時期とがあるという考え方です。

また、「キャリア・ホープ」と「キャリア・ミスト」ということを言う方もいます。ホープ=希望や目標の有無と、ミスト(霧)=見通しの良し悪しのようなことで、その2軸の掛け合わせでキャリアのステイタスを見る考え方です。
ホープが定まらなくてもやもやするときも、ホープが明確だからこそつらい思いをするときもありますし、霧が濃くて道に迷うこともあれば、先が見えすぎて飽きちゃうこともあります。

ひとそれぞれに人生のいろんなタイミングに立っていて、その都度、未来の存在感って変わったりするのかなとも思いました。
未来のよき存在感を探し続けた1年間、今シーズンもお付き合いありがとうございました。

図書館で頭の中を検索する〜眠りと「いまここ」〜

こども館に来ましたが、隣の図書館をぷらぷら。
書店は脳検索にぴったりだけど(本屋で頭の中を検索する - キャリア探偵手帳
図書館はさらに雑多な話題にあふれてます。楽しい。
家でじっくり精読するのとも違う「借りて帰るかもしれない」という予感をなだめつつ本をぱらぱらめくる喜び。

今日はなんとなく目についた、「睡眠」まわりの本を乱読してみました。
結構おもしろかった。メモ。

ぼくが眠って考えたこと

ぼくが眠って考えたこと


・他者の気配が消され「自分のためだけのしつらえ」と感じられるという高級
・街中でこんなに簡単に眠る場所をみつけられるのは日本だけ。眠りの偏在化
・眠った瞬間に空間が消える
・現代は、眠らなくても、情報化により「場所感」が喪失している
・ネットワーク上に居場所を定めいつでもつながれることは、現前と不在の間にある「うつつ」。ここにないものがここにあるかのように現れる、夢と現実の境界領域的世界。
・生き生きとした「覚醒」と深い静かな「眠り」で構成される人生から、「夢」と「うつつ」で構成される半覚醒状態の人生へ?睡眠不足とは覚醒不足である。

朝昼夕3つのことを心がければOK!  あなたの人生を変える睡眠の法則

朝昼夕3つのことを心がければOK! あなたの人生を変える睡眠の法則

・やる気が出るのは「50%は知っている状況だけど、残りの50%は未知の領域」というシチュエーション(ヴィゴツキーの発達の最近接領域)

・よい睡眠で、知ってる!と面白い!を増やそう(ってことかな?)
・「今日の行動は、明日のリズムのため」と思って行動する
・起床から4時間以内に光を見て、6時間後に(眠くなる前に)目を閉じ、11時間後にストレッチなどで体温を上げる

自分の力を最大限に発揮する!  脳のトリセツ (DO BOOKS)

自分の力を最大限に発揮する! 脳のトリセツ (DO BOOKS)


・脳は、力の配分ができない内臓
・どんな課題でも自分が得意とする脳の使い方で臨む。「自分がやれることしかやらない」
・仕事のできる人や挑戦し続ける人は「もうちょっとでできそう」という「半分は経験済みのこと=ハーフタスク」をつくるのがうまい
・課題を切り刻み、経験済みのことと未経験のことを組み合わせる課題設定
・脳のムダづかいをやめるために、感情や体調や注意を整える
・注意を整えるために情報断食。慣れた音楽や漫画を繰り返し読むとかもいい

つらい不眠症を自分で治す実践ノート―あなたは自分の睡眠障害に気づいていますか?

つらい不眠症を自分で治す実践ノート―あなたは自分の睡眠障害に気づいていますか?


・怒りと不安と睡眠
・「怒りを抑える」のでも「発散させる」のでもなく、「怒りを生み出さない」ようにする
・不安と不眠の仕組みは共通する


・止まっている時間が長いと脳の活動は停滞に向かう。やる気とは行動することによって蓄積されるエネルギー
・脳と身体の問題が、メンタルの問題と混同されるケースが多い
・早朝は「社会に撹乱されない時間帯」
・快を求め不快を避けようとする感情系。自分を甘やかせることも時に大事だが、それを当たり前にしていると思考系が感情系の奴隷になる
・現代のように、社会から不快を与えられやすい一方で、簡単に得られる快が満ちあふれている時代には、感情系に支配されると果てしなく落ちていく。抑制の力は自己防衛法

メモは以上です。あっという間に1時間半。

睡眠は、覚醒と眠りの間。脳と身体の休息と活動。怒りと不安から解き放たれた場所。
鮮やかな「いまここ」の世界と自分の存在を感じて、健康に生きていきたいなぁと思いました。

能動的に情報に接し、自分の殻を柔らかくして人に接し、世界を曖昧なまま保留しつつ自分の足で歩くこと。
そういえば私には子どもの頃はずっと半覚醒的で、ここ数年やっと覚醒してきた感覚があります。

さて、そろそろ子どもたちをおやつに誘ってこようかな。

U理論子育て〜子どものだらだらとくだらない話にどうつきあうか

長女ちゃんはもう2年生。
部屋の隅っこで心ゆくまで漫画が読めるので、学童がだいすきです。

好きな雑誌はコロコロコミック
頭の中はギャグマンガのネタでいっぱい。へそまでマンガです。

で、帰り道とかお風呂とかで、今日読んだギャグマンガのストーリーから、あるかないかわからないオチまで、延々と話して聞かせてくれます。
だらだらくどくどしていて描写が細かすぎてわかりにくく、基本的に下品で、きまってオチはつまらない。でも長女ちゃんは終始楽しそうで、熱心に説明してくれます。
さて、どんな態度で聴くべきか。。。

あまり熱心な素振りを見せてギャグみたいな人生を助長させてもあれだし、興味ないと本音を伝えるのも大人気ない気がする、それともそんな下品なのはやめなさいと言うべき??

そこで、あっ、と思いました。
いまの私の態度ってダウンローディングかなぁって。
くだらない、そんなんじゃモテないよ、という評価の声(VOJ : voice of judgment)をそのまま浴びせていいものか...

長女ちゃんの表情をseeing し、「ふーん、長女ちゃんはその話のどの辺がいちばん気に入ったの?」なんてきいたりしながらsensing に励みました。
なんかそれなりに興味深い答えも聴けたりして。

でもね、ギャグマンガの世界が不在化しようが、やっぱり私には関心ない..

でもまあ、自分の価値基準のフィルターでものをみてたら、長女ちゃんとの話もどんどん弾まなくなっちゃうんだろうなと感じた一件でした。
ギャグマンガにおけるナンセンスも興味深いような、深くないような。
息抜き投稿でした。お目汚し失礼しました。

#親キャリ 勉強会 シーズン4第2回『手放して、迎え入れる』

 

親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。

シーズン4 第2回勉強会を2015年9月13日に開催しました。


3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
 
今季のテーマは『時間旅行』。 
価値観の旅。
過去、現在、未来、そしていまここ。
 
 
第2回の今回は「現在」への旅です。 
「現在」のパラレルワールド=何かを手放してみた世界、を旅してみました。 
がんばっている気持ちのもう片方にある本音に向き合うような、そんな時間になっていたらと願っています。 
 
「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」のストーリー
これまでの勉強会にご参加くださった、めぐさん、さちえさんにお願いして「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」というテーマでそれぞれのストーリーをシェアいただきました。
 
めぐさんは今年7月に新卒入社以降お勤めになった会社を辞めたお話を。
さちえさんは昨年、同じように長くお勤めになった会社をお辞めになっていて、その前後のお話をしてくださいました。
お二人から受け取ったものがとてもたくさんありすぎて、詳細に記しきることができませんが感想程度にご紹介します。
 
参加者の皆さんからのtwitter上での感想等はこちら
 
お二人とも当日は心の機微までシェアしてくださりほんとうにありがとうございました。改めて心より感謝いたします。
 
手放したもの
めぐさんのキャリアストーリーは、この先5年10年単位で、どんな働き方をしたいのか、どのように充実していたいのかを明確にイメージされながら過ごしてこられたご様子がとても印象的でした。
 
「働くお母さん」はそんなめぐさんが、なりたくてなったもののひとつ。
そして会社をやめる理由はお子さんのためであることもさりながら、「働くからには上に行きたい」「評価されたい」という気持ちを手放すことはできないと心を決められたからだということを教えてくださいました。
 
定時内でもいい仕事をしたいという気持ちを手放すことはできないからこそ、定時内の仕事を評価しない場所に留まることはできない。凛とした潔いご決心だと思いました。
 
手放さなかったもの、手の中に残ったもの
でもじつはめぐさんは「働くお母さん」を手放してはいらっしゃいません。
ここ数年新たに芽生え始めていた「引退後はこんなふうに社会の役に立ちたい」という想いを実現するための勉強と活動にむしろ前倒しで取り組み始めていらっしゃいます。
 
関わっている有償ボランティアの組織についてのめぐさんの描写がとても印象的です。
「ふわっとつながっていて、向かっている方向はみんな一緒。それぞれできる範囲のことしかしていないのにそう感じられて面白い。リーダー的な人が居る一方で今月稼働がない人などいろいろ。でも役に立ちたいという人がこんなにたくさんいる。」
 
同じ想いを共有するゆるい組織に参加するようになってから、気付くと「誰かに評価されたい」は手放していて、「役に立ちたい」という気持ちだけが確かにあるそうです。
 
握っていた手をひらく
「手放す」ということは「ぎゅっと握っていた手のひらをひらく」ようなことかもしれません。
 
誰しも何かに執着してしまうことってあります。それはたとえば、
・モノ
・場所
・習慣
・規範
・人との関係性
・組織への所属
・肩書き
などとざまざまです。
 
そしてそこには「自分は何者か」「何が自分らしさか」「どんな自分なら許せるか、誇れるか」というアイデンティティの問題が関係することがあります。
それをぎゅっと握りしめていなかったら自分自身や他者や社会にとっての自分の価値が損なわれる、掌からこぼれていく、がっかりしたりされたりしてしまう、ここに居られなくなる。
他者からは思い込みや妄想にさえみえるような不安が、当人にとってはいまそこにある危機だというようなことが、誰しもあるものです。
 
しかし部屋をかたづけなければ新しい椅子を置けないときもあります。
ぎゅっと握っていた手をひらく。砂粒がさらさらとこぼれて、きれいな結晶が残る。めぐさんのお話からそんなイメージが浮かびました。
 
足跡をたどって降りてきた場所
さちえさんのはじまりのストーリーは、1年半前の森との出会い。二泊三日の森のリトリートに出かけ、「登る」ための何かをつかみにいったつもりが、「登ることを手放したらどうなるんだろう?」という問いを受け取って帰っていらしたそうです。
 
静寂の森での自分との対話、道に迷い『ものすごく不安で、足跡を辿って同じ道を戻ればいいと思ったら気楽になった。あ、降りようと思った。』という暗示的で比喩的な体験があったそうです。
登る、に比喩されるもの。がんばって働くとかそういうこと。自分の無意識に常識と思っているものをいったん足跡をたどって降りてみたらどうなるんだろう?と思ってしまった。
 
親キャリ勉強会での出会いも、転機として語ってくださいました。
40歳は「人生の正午」という言葉を知ったこと。後半の人生では、人生の前半で影になっていた自己や生活の部分に陽の光があたる時間帯になるという考え方。
人生の先輩である悠さんのストーリーに触れたこと。生涯のお仕事となるであろう今の創作活動との出会いが40歳のころだったというエピソードを聴いたこと。
いまの仕事と働き方をあと30年続ける?
「稼ぐ」「たくさん稼ぐ」ということを手放したらどうなるんだろう?
 
手放してみて、受け取ったもの
さちえさんはそれから時間をかけて、いくつかの出会いを試されたそうです。
安定した雇用関係とは異なるつながりによる活動に参加する際に『私なんもないじゃん!ってすごく思って』、起業塾プロボノ※などもご経験される中で「判断を保留すること」と「想いを口に出すこと」に踏み出されていったようです。『自分に許可を出す』ことの大切さを語ってくださいました。
※参考記事

『ママボノ』に思う、弱さと強さで社会に関わるということ - キャリア探偵手

起業塾では「自分の困りごとを解消すれば、誰かの助けになり、ビジネスになる。そのような自分のアイデアを人に言いましょう」と教わったそうです。そして思い切ってFacebookで発言したら、「俺もそういうこと考えてるんです一緒にやりませんか?」と声をかけられ、現在参加している活動につながっている。そのようなご経験を、目的を持ってやることも大事だけど、気になることをやっていると、結果として得るものがあるなという感覚』としてシェアしてくださいました。

 
まだ気づかれていない願い
目的をゆるめることで得るもの、見えるもの。とても共感をさそわれるお話でした。
最初は直感や素朴な感覚や個人的な願いだけがあって、それらに従って素直に発言したり行動したりするうちに、誰かと共有できる目的が立現れてくる。
 
しかし自分は何に心動かされるのか、本当は何を願っているのか。そのことをいつでも自覚している人ばかりではないでしょう。自分の気づいていなかった願いに気付くことで人は動きだせるのではないか、とさちえさんはおっしゃっていました。
 
人や組織が未来に向かって望ましい変化を経験しようとする時、壁となる3つの声が聞こえるそうです。(『U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』)
 
評価・判断の声
  …「もう知ってる」「それは違う」
皮肉・諦めの声
  …「どうせ無理」「私には関係ない」
恐れの声
  …「今の世界を捨てる?」「きっと耐えられない」
 
これらの壁の向こう側に行こうとする過程で、自らの願いはくっきりとしてきます。
 
しかしこれらの声は過去や現在を生き延びてきた自分を守ってきてくれたものでもあります。
なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践』によれば、人や組織が変われないのは、阻害行動を正当化する「裏の目的」があるからであり、それは「免疫システム」でもあるからだそうです。
 
過去や現在を否定するのではなく「手放し」て、選択的な未来を迎え入れるには、「保留」と「対話」が重要となると言われます。 
 
手放しては戻ってくる
さちえさんが長年勤められた会社を退職されたのは、このようにして『水が少しずつ溜まっていって、漏れた』タイミングだったそうです。
 
それでも、たとえば保育園に就労証明書を提出する機会などに、世の中から「はたらいている」と見られないことへの恐れが浮かび上がったりもしたといいます。
手放したと思っても帰ってくるという事はすごくある。働いている自分のイメージや、保育園に行かせたいという願い、働いていると世の中に認められなければならないという気持ち。手放したりまたぎゅっと握ったり、繰り返している。そういうことってずっと続くんだろうなと。
 
感想程度と言いながらとても長くなってしまいました。
お二人のストーリーシェアリング から受け取ったものがたくさんあります。参加された他のみなさんもそうだったと思います。ありがとうございました。
 
曼荼羅ワーク
当日は、受け取ったものや触発される思いを整理するために連想ワークを行いました。
あきこさんが、専門的には「9分割統合絵画法」、俗称としてマンダラ法をご紹介くださいました。 
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画用紙を9コマに割り、そこに連想されることを絵や記号、言葉などで書いていきます。らせん状に、中心から外へ(発散的)、または右下から中心へ(収束的)に連想を行っていきます。ビジネスでの発想法などにも活用される安全な手法だそうです。
 
参加者の皆さんの曼荼羅ワーク
短い時間でさっと仕上げていただいたのですが、それぞれがいろいろなものを受け取って、十人十色の内省が漂った場であったことが推し量られるワークになりました。
連想のテーマはそれぞれ自由に設定していただきました。
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これからのこの勉強会も、何を目的にするのかをゆるくして、それぞれのお土産が自由に拾える場所であれたらいいなと願っています。
両立のその先はひとり旅。 
 
【参考資料】 
今回のスライド

引用文献
U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術

漫画解説本もでたらしいですね 

マンガでやさしくわかるU理論

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なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践

なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践