いまここノート

いまここの記憶

『ママボノ』に思う、弱さと強さで社会に関わるということ

今日はこれから、ママのプロボノ『ママボノ』の報告会に参加してきます。

プロボノとは、職業人として培ったスキルをいかしたボランティアです。
ビジネスにおける経営や業務プロセスや組織構築・運営を効果的におこなうノウハウや行動は、NPOなどの非営利組織の組織基盤強化の役に立つことのできる能力といえます。

わたしは昨年の『ママボノ』プログラムに参加させていただいて、私自身も多くの学びを得ました。
中でも大きかった学びと変化は、社会の役に立つためにできることと本業での仕事の成果とを重ねるためにあれこれ行動するようになったことです。
仕事で一人前の働きができるようになった方が、もう一段階の成長への意欲とヒントを得る場になると思います。キャリアにもやもやしている方にはぜひおすすめしたい活動です。

前置きが長くなりましたが、『ママボノ』はそのような社会貢献活動に、とくに乳児・幼児の子育て中の方が参加しやすいようなセッティングをしてくださっているプログラムです。
育休中や主婦の方が、昼間お子さんと一緒に活動できます。期間も3ヶ月未満と、気力を保てる長さです。

子育てしながら働くことには自分の様々な「弱さ」に直面することがついてまわります。
手を差し伸べてくださる方には、恩返しではなくて「恩送り」をしてねと声をかけてくださる方もいます。時間差で、助けてくれたその方ではない人へ、恩を送ることは社会のつながりを信じたりつなぎ続けたりする「社会参加」だと今はとても思います。
私が誰かになにかを返すまでにまだまだ時間をかけてもいいですし、弱さを受け入れて社会の助けを得ていくことそのものが社会に参加していく一つの成熟の過程なのだとも考えています。

でも、やっぱり弱者でいる一方の時間を過ごすのはしんどい。たぶん私もそう感じていたし、健康で働き盛りだった方の中には時間や意識が育児にシフトする中で同じように感じる方もいるのではないかと思っています。
そんな時に、いますぐにでも社会に価値を渡す機会は探せばあるんだな、というのが『ママボノ』で感じたことでした。

プロボノは「大人の社会科見学」であると言われることもあります。NPOの活動を通じて社会を知ると、自分の生み出せるかもしれない価値とその機会が格段にきめ細かく見えるようになるはずです。

そんなにハードルは高くありません。仲介してくれているサービスグラントさんのような団体が、成功するプロジェクト運営をノウハウ化してくださっています。
ママボノの機会もまたあるでしょうし、通常のプロジェクトは随時提供されています。
またプロボノでなくても、地域のボランティア・センターに足を運べば、 コーディネーターの方がボランティアの機会をみつけてくださるでしょう。

なにしろ時間がないので私も関わり方は模索中ですが、みなさんにもご自身の社会的価値が手にとって見えるようになる機会をぜひみつけていただけたらなと思います。
では、今年の参加者のみなさんの物語を聴いてきます(^-^)

未熟さのただなかに留まる

久しぶりに会った同期と話していてふと気づいて、そのことはわたし自身のあり方にとても影響が大きいような気がしたので書き留めておきます。

私の会社は大きくみれば単一事業なのですが、その中に性格の異なるいくつかの商品群があります。もちろん職種もいくつかあります。
私の社内キャリアを振り返ると復職のタイミングだけでなくて、わりと商品群や職種をまたぐ異動が多かったように思います。
ちなみに私がチームを変わるだけでなく上司の方が異動したこともあったので、勤続年数と同じくらいの数の上司と組んできました。色んなタイプの方がいたのでちょっとした上司ソムリエです(^-^)

で、書きたかったのは上司の嗅ぎ分け方味わい方ではなくて仕事の方です。
異動が多かった私はスペシャリストの多い自社にしては異色な方で、その結果どうなるかというと、どの職種での経験も中途半端になります。実際、実績も専門性も中途半端で苦労しています。

それでも覚えておきたいなと思ったのは、それがどんな私をつくっているかということ。
熟練する場に居ついたことのない私は、どうやら未熟さのエキスパートなんじゃないかと。
未熟さのただなかに留まることの。

十数年、初心に浸って浸って浸り続けてきたということ。
いろんな仕事での、力不足への泣き方だけを知ってる感じです。
諦めてしまう前の。
空気になってしまう前の。

だから他の人のそれにも気づきやすいような気がするし、そもそもそういう澱みを美しく感じるタチでもある気がします。
何者かになっていこうとする時間から、あまり急いで抜け出さないでいたいと思う。
過去に頼らず、開かれた心と開かれた意志に寄り添ってここに居ること。
それでも何かを生みだしたくて、未熟さを掛け合わせる工夫を忘れずにいたいと思っています。

節目というのは

季節の変わり目。
別れと始まりの季節。

節目というのは、
未来のためにあるのか、
振り返ったらそこにあるものなのか。

ここを節目と構えても何も出てこないくらいからっぽ。
もしかしたらそれを節目というのかも。
竹も中は空洞ですしね(^-^)

ここまでの人生が私に染み込んでいることを信じて、新しい環境に、開かれた心、開かれた意志で踏み出します。
Uの谷底をくぐって、私に期待してくれている世界のために働きたいと思います。

復職後の心を強くしてくれた3つの呪文

いよいよあさって復職です。
乳児を抱えてたころとはだいぶ違うのですが、なんとなくこれまでの復職を思い出しては噛みしめてしまいます。

育休からの復職後、自分の不安も手伝って周囲の人とのやりとりにモヤモヤすること、こんな私でもありました。

そこで今日はそんな心の立て直し方を。
私の選択が間違ってるのかな、私のやり方がわるいのかな、、とつい思いがちな私をずうずうしくしてくれた、やや上から目線の3つの呪文を反芻します(^-^)


「大丈夫ですよ、そんなあなたの老後もうちの子が支えますね(^-^)」

なんなら経済成長も任せてください(^-^)
少子高齢化労働力人口減少社会では、働く親という選択は社会貢献のひとつのスタイルです。
目の前の同僚にちょっぴり迷惑をかけるとしても、いずれその人の老後を明るく支える活動です。

このような見方を教えてくれたのは『ふたりの子育てルール』という治部れんげさんの本でした。

大局をみれば、引け目を感じることはないですよね。むしろ寛大なきもちで。


「課長も、部長も、なんなら社長も、みんなひとの子(^-^)」

親になってから出席する結婚式って、親目線になっちゃいませんか?

同じモードで職場に戻ったら、どんなオジサンも誰かにとって、またそのひと自身にとって特別で大切な人生を生きていることが感じられるようになりました。

まだ伸びしろがあるって信じます。


「カサついた職場よ、潤え」

乳児幼児との日々をすごして、寝不足や承認不足が不機嫌や気力低下のモトなんだってことを嫌という程思い知って帰ってきました。

職場でピリピリしてるひともきっと、大切にされていると思えなかったり、心の居場所がたりないんでしょう。

それなら母性でも父性でもなんでも発揮しちゃいますよ。職場が明るくなれば優しくし合える相手も増えます。


私はそんな感じだったんですが、どうでしょう(^-^)ゞ
万能薬ではないでしょうけれど。

こんな自分であること、こんな働き方であることに胸を張っていいんだと思います。
応援してくれる人や、理解を示して尊重してくれる人も、たくさんいます。
批判的な人からの評価より、その人たちの評価の方を信じていいと思います。


関連記事

仕事から離れた心はどこを漂ったのか

昨日の記事、読んでくださってありがとうございました(^-^)

長い思い出話を書いたからか、3度目の復職を控えているからなのか、いろいろと思い出します。

今思えば、揺れに揺れていたなぁと。
そのとき仕事から心が離れたのか。
仕事から離れた心はどこを漂ったのか。
引き続きの探偵しごとです(^-^)


1度目は、小さい長女に泣かれることがとにかくつらくて、
「あんな思いをさせてまで、やる意味のある仕事なんだろうか」
と、泣きながら電車に乗る日々でした。

きっと、私が、さみしかったんですね。
長女の涙はその映し鏡だった。

あるいは仕事にのめり込まない理由がほしかったのかも。


2度目は、保育園が良いところだってわかりましたし、次女は別れ際も泣きませんでした。
そのかわり、会社の同僚の長時間労働や心身の健康がとても気になり、マッチョになれない人間には居場所がないように感じました。

きっと、そろそろ仕事で活躍したい気持ちだったんですね。
だから職場の綻びが目に付いたし、居場所はないと決めたのでしょう。
再び仕事にのめり込まない理由も、十分にできない言い訳もほしかった。


なにもかも私の気のせいと思い直す社畜精神を肯定するつもりはないですが、
心が離れてしまったんだと思い切る前に
「いまは不安なだけ」
と唱えて、ただ時期を待ってみるのもいいかなと今は思います。

仕事から心を離そうとするのは、なにかを大切にしたい不安の映し鏡。
もしそうだとしたら次の機会には鏡をのぞきこんで、大切にしたいと思うものへの気持ちそのものをすくいあげ育ててみたいと思います。

育休復帰後のお荷物感はどこに消えたのか

今日は季節らしい思い出話。

先日、育休復帰を控えた方とおしゃべりをしていて、
「もう自分はお荷物なんじゃないかって思ってしまって」
というフレーズが心に残りました。

私もそうだったなぁ。
とくに一度目の復職後はどんな働きをしたらお荷物感が消えるのか、そればかり考えていました。

でも3度めの復職を控えた今はそうでもありません。なぜかしら。
そこで「育休復帰後のお荷物感はどこに消えたのか」という謎について、久しぶりに探偵しごとをしてみます(^-^)

◼︎お荷物感はいつ消えたのか

一度目も二度目も復職時は部署を異動しました。
これから先の貢献が長いことを疑わずに新しい仕事を覚えさせてくれた上司や同僚に感謝するばかりです。

最初の復職時は1年半、二度目は1年ほど勤務しましたが、お荷物感が消えたのは二度目の復職後半年経ったころだったかなと思います。
それは青天の霹靂ではなくて、そこまでにはいくつもの伏線とありがたいサポートがありました。

◼︎時短勤務者が主戦力の職場

最初の復職時、異動先の上司の2つの言葉で肩の力が抜けたのを覚えています。

『会議は50分、9-17時の間を標準にしています』

時短勤務の方が他にも何人か居て、その先輩たちがとても優秀な方たちだったので、彼女たちが主戦力になれる職場を本気で目指していました。
先輩方が具体的に要望したことでもあったのかもしれません。

残業ができないことを理由とした2級労働者扱いはそこにはありませんでした。

◼︎異質な視点という価値

時短勤務かつ異動者の私に居場所をつくってくれたもう一つの言葉は次のようなものでした。

『この部署は純粋培養の人が多いから、他部署・他職種の経験からみて違和感のあることは何でも言って。無駄なことを続けてることもあるはずだし、異質な視点提供が役割だと思って発揮して。』

遠慮して言わなかったことも、まず言ってみるようになりました。

復職時に異動がなく元の職場や職種に戻ることによって、休職前の蓄積でアウトプットしやすいということは当然にあると思います。
一方で他の条件が変わらない中で自分の使える時間だけが短くなるというのは、人によっては出産前の自分基準と比較して、できなくなったことや、微妙な扱われ方の変化に意識が向きやすい環境にもなるような気がします。

異動してそこで異質な視点を提供するというミッションは、極端にいえばそこに居て息をしてるだけでも価値の源泉になるので、私にとってはありがたい期待のされかただったと思っています。

もちろんこの部署での業務は新人レベルなので、お荷物じゃないとまでは思い切れませんでしたが、異動すれば最初はこんなものだよねという諦めとともにコツコツとがんばれたようにも思います。

◼︎アウトプットしたい

と、ここまで書いて、一度めの復職後の勤務ではもう一回異動したんだった、と思い出しました。

復職して一年が経ち、希望が叶っての異動だったので、二度目の産休を控えて残り半年しか勤務できないことが本当に残念でした。

そして、再びの「振り出しに戻る」感は思った以上にしんどくて、挫折感とお荷物感いっぱいで二度目の産育休に入りました。
今思えばアウトプットの手応えに飢えていたんですね。
憧れの仕事だっただけに何をやっても実力が足りない感じが余計に堪えました。

◼︎見えやすい成果と見えにくい成果

挫折感と9時ー5時勤務の健全さとをしっかり味わっての二度目の復職は、また異動して新しい上司と組むことになり、最初の面談で次のように告げられました。

「周りにはっきり説明できるほどの成果をあげてもらわないと、この役割等級は維持できないから」

お給料分の責任を問われるのは当たり前とわかりながらも、過去の働きで信頼してもらえない部署に異動するってこういうことかとショックと強いプレッシャーを感じたのを覚えています。

同時に、育休明け時短勤務という立場にどこかで甘えてきていたことにも気づきました。できない理由、やらない理由にし過ぎていたかもと。

商品開発チームのリーダーと、新規セミナーを開発して講師をつとめる、というふたつの役割で、周りからも認められる実績をあげることを約束しました。
会社ではMBO(目標による管理)が浸透しているので、他の目標とともに達成基準を明確にしました。

以前の私だったらそういう表に立つ仕事はかなり消極的になったと思いますが、2つの理由からがんばってみることにしました。

一つは、このできない、やれない、こわいというような気持ちがある限りは「お荷物感」は消えないかもという予感。

もう一つは、育休中に関わったワークショップや勉強会で、私も生きてる時間相応になにか経験を積んできたんじゃないかという自分への期待。

◼︎結果の出来よりも、成果に向き合ったことで

開発チームリーダーとセミナー講師、どちらの仕事も紆余曲折あって、とてもスマートにとは言えませんでしたがなんとかやり遂げることができました。
サポートしてくれた上司と先輩には、感謝してもしきれません。

この2つの仕事は、会社としての正解を誰かに渡す仕事ではなくて、私個人の資源を使って私が選んだことが正解になる仕事があることを教えてくれました。

セミナーが終わって、見学してくれていた新人の後輩が、すごくよかったです!と伝えに来てくれました。率直で、納得したことしかやらない彼に褒められて、尊敬できる先輩に私自身がなる時期がきたんだと理解しました。

◼︎お荷物感は遠慮と一緒に消える

たぶん、お荷物感はその時に消えたんだと思います。
私自身の、遠慮するきもちと一緒に。

「私なんか」と言いながら、誰かのつくった正解に自分を合わせようとしていた頃の私は確かにお荷物だったでしょう。
とても反省しています。

そして、仕事や成果基準は誰かがつくったものなのだということ、私自身がそれをつくって説明することが成果になることを初めて理解しました。

出産などのライフイベントを経験した女性はそうでない人々よりも、ユングが人生の正午と喩えた転機を早期に迎え、生きる幸せについて考える機会を比較的早めに得るような感覚があります。
その豊かさには感謝しつつ、仕事経験が不足するゆえのある種の未熟さとともに「仕事人生の思春期」を迎えてしまうことの危うさは自覚しておきたいと感じました。

当初は遠慮と怖れのきもちでいっぱいでしたが、覚悟を決めて成果を出すことでしか癒されないものがいわゆる両立生活にはあるのではと。

私はお荷物かもしれない、という心の荷物をおろして、仕事や成功基準を自分でつくること、遠慮せずにむしろ会社から資源や支援を引き出すことで、きっとお荷物感を消していくことができると今は信じています。
(でも乳児を抱えて復職している方は、朝まで寝られるようになるまではだましだましでいいと思います(^-^)人それぞれのペースで体力は回復しますからそのあとで。)

次の復職後こそはがんばってみます(^-^)

認知的不協和理論と感情のホームポジション

認知的不協和の理論―社会心理学序説』という本を読みました。
積ん読解消のメモがてら感じたことを。


◼︎認知的不協和の理論とは

認知的不協和の理論とは、人は自分の中に生じた矛盾する認知に居心地の悪さを感じ、不協和を解消しようとする、というもので、本書の著者であるフェスティンガーが論じ、現在も広く受け入れられている社会心理学の概念です。
それまでもっていた信念や行動と、新たに得た事実と思われる情報が矛盾するとき、その不協和を解消したいという心理的圧力が生じます。

興味深いのは、不協和をおこした2つの認知のうち、人は自分にとって変えやすい方を変えるというところです。

◼︎行動を変える

まずシンプルに、現実だと思われる情報に、行動を合わせる方策があり得ます。

たとえば喫煙者が発ガンリスクを知り禁煙する、というような行動があてはまります。

◼︎事実情報への認知を変える

一方で喫煙行動は変えずに、喫煙者でも長生きする人はいる、交通事故の死亡率の方が高いなどの情報を加え、不協和を低減させる方策があり得ます。
彼、彼女は、喫煙をやめたくない、またはやめられないから現実についての認知を変えるのです。

人は行動を変えるハードルやリスクが高い時、意固地とも見える往生際の悪さに陥る可能性があります。古い信念を妄信し、過去のやり方にしがみつきます。

ひとに変化を望むなら、失敗を許し、退路や新しい居場所をつくることがとても大事なのでしょうね。

◼︎人は自分が見たい世界に生きる

また、認知的不協和を避けるために、人は既にもっている認知と協和する情報を多く認知するのだそうです。

車を買った人は、買った車のパンフレットを集め、自分がよい買い物をしたことを確認することを心地よく感じます。

笑う門には福来たる、などというのはそういうこともあるのかな?なんて感じました。笑っていると、笑うに値する手がかりをよくみつけるのかなって。

みなさんの感情のホームポジションはどこでしょうか。どんな世界を引き寄せていますか。

◼︎傷ついたことを認める

笑顔の世界に住んでいたい思いと同時に、目をつぶるかもしれないもののことを考えます。
それは、自分が傷ついたことを認めるのは思いのほか難しいかもしれないということです。

不当な扱いを受けたという事実は、自分には価値があるという認知と不協和しますが、自分にはその価値がないからと自己評価を下方修正することによってもその不協和は解消されてしまいます。
または不当な扱いなど受けていない、そんな扱いは存在しない、私の気のせいだ、という解消の仕方もあるでしょう

自分は傷ついたと認めることは、不協和を別の方法で解消する必要を引き受けることでもあるからきっと難しいのですね。


オチもなくつらつらと書きました。

人の認知というのはあてにならいし、世界ってあいまいなものだなぁというようなことを考えました。