今ここにない、未来
未来のこと。
未来はどこにあって、いつ生まれるのかなというようなことを考えていました。
そして、未来というのは、世界が塗り変わる感じ、なんじゃないかと思えてきました。
世界は、観るひと一人ひとりがつくっているもので、ちょっと角度をかえるだけでがらりと変わってしまうもの。
客観的にみえる情報も、様々な社会的な背景に意味づけられています。
自然科学的なデータでさえ、測定技術や評価技術というフィルターにかけられたものが多くあるのかなと認識しています。
すでにわかっていること、予測可能な前提や因果律をもとに行動したり考えたり感じたりしているとき、ひとは現在という時間にいながら、過去の枠組みで世界を生きていると言えるかもしれません。
そして未来を感じる瞬間というのは、前提や因果律がくつがえされて、それでもなおその世界で生きていこうと思えるような時なのかなと。
open mindで他人事だった世界を観て、
open heartで過去の自分をゆるしながら、
open willで傷つきながらも新しい世界を歩いてみる。
未来は、いまここには無くて、いつも自分の世界の外側にあるもの。
そして、それが自分にとって親しい未来になるかどうかは、いまここのわたしの個人的な在り方次第。
そんなふうに思えてました。
#親キャリ 勉強会 シーズン4第3回 『未来に踏み出す瞬間、未来が知っているいまここ』
親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン4 第3回勉強会を2016年2月14日に開催しました。
バレンタインデーに多数のご参加、ありがとうございました。みなさんへ愛を込めて。
3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
今季のテーマは『時間旅行』でした。
過去、現在、未来、そしていまここ。
過去、現在、未来と、いまここ
第1回は「過去」への旅、『ルーツと転機』を巡る旅。
何を望み、何をたのしく感じる自分だったかを感じ直しに行きました。
「初心に返る」と言いますが、もっと根っこに戻って、ただ楽しいときの心持ち、夢中になるときの感じを感じ直して、心にホールドしていることって大事なのかなという気がしました。
第2回は「現在」のパラレルワールドを旅しました。『手放して、迎え入れる』。
がんばっている自分、こうでなければいけないような気がすること、なんとなく過去から続いているいま。なにかをやめてみて、ぎゅっと握っていた手のひらを開いたら、何がほどけていく?何がすべりこんでくる?
手放してみてはじめてわかるような執着に、もしかしたらいまこの瞬間も縛られているのかもしれないという予感と、執着を手放してぽっかり空いたスペースに迎え入れられることを待っている、何かいいものの気配とを、みなさんと感じました。
そして、今季最終回となる今回は「未来」への旅です。
『未来に踏み出す瞬間、
未来が知っているいまここ』。
未来の存在感
未来を考えることについての気持ちを、事前にアンケートしてみました。
ワクワクする方、苦手意識のある方、どちらとも言えない方、それぞれ同じくらい。コンディションによる、という声も複数伺いました。
誰にとっても安心で、楽しい機会にしたいなと思って場にのぞみました。
私自身は、未来、にかなり苦手意識があります。いまここに在る自分が嘘のものになるのがこわくて、過剰に身構えてしまいます。
そうではなくて、「いまここ」をほんとうのものにしてくれる未来。「いまここ」が意味深くなったり、足場が確かになるような未来。そういう未来の存在感がきっとあるはずだし、そういう付き合い方のコツを私自身がつかみたいなと思って企画をしていきました。
フューチャーセッションからの学び
未来への苦手意識を克服したくて、2〜3年前くらいの一時期、フューチャーセッションの界隈にちょっぴり足を運んだりしていました。
第一人者の先生に向かって、外向的なワークが実はしんどいですとか失礼な感想を言い放ったりもしながら、自分たちでもフューチャーセッションもどきを開催してみたりもして、「未来」を考える意味とコツが少しずつわかってきたような気がしました。すごく乱暴にまとめるとポイントは2つ。
あとひとつ、多様なステークスホルダーの視界や文脈合わせ、というようなことが本来のフューチャーセッションでは大事になる気がしますが、今回は一人ひとりの地図が描ければいいので割愛。
この2つを、仕事や私生活における個人的な行動指針の選択というミクロな文脈にどんな風にアレンジできるかな?というのが、今回の旅の着想でした。
バックキャスティングと「選択」
フォアキャスティングは現在が描く未来への道のり、
バックキャスティングは未来が描く未来への道のり、
と理解しています。
バックキャスティングに視点を移せるかどうかは、どれだけ手触り感のある具体的な未来の情景を描いて、本当にそこに立っているほどのリアリティをもてるか、ということに左右されると感じていて、フューチャーセッションではそのための様々な手法が使い分けられていると思っています。
ほしい未来の景色を鮮やかに詳細にくっきりと描くと、過去や現在の延長として予想したのとはまったく違う未来の可能性があり得ることに気がつきます。
そして、未来への道のりはすでに1つに決まっているのではなく、じつは幾筋にも分岐していて、まだ選び直したり切り拓いたりできることに気づきます。
思いもよらなかった第一歩をその場で決めることさえできたりします。
どんな内容であれ未来には2種類しかありません。「漫然と迎える未来」と「願って選択した結果の未来」です。
未来旅行
そんなことを考えながら企画した今回の「未来旅行」でした。
前半は「いまここからつながる未来」。
後半は「未来が知っているいまここ」。
いよいよ未来に降り立って、バックキャスティングをしてみました。
以前一緒にフューチャーセッションを開催したいちのせきさんにワーク設計を手伝ってもらいました。
いまここの自分の在り方がほどほどに緩んでいて、肯定感をもちつつ他の在り方の可能性も感じているような状態、土壌が豊かに耕されていて新鮮な空気を含んでいる状態をつくってから、未来の種を蒔きたいと思っていました。
各回でストーリーシェアをしてくださった方々の人生の豊かさ、多彩さにも触発されて、私自身の土壌はかなりほくほくしていい感じでした。みなさんありがとうございました。
ルーシーさんのストーリー
ルーシーさんには突然のリクエストに快く応じてくださり感謝しています。
「未来と私」的なテーマでなにかお話いただけませんか〜というとってもユルいリクエストを差し上げたのですが、わかりやすく、コンパクトかつ内容深いストーリーを準備してシェアくださいました。
先取りするようですが、締めくくりにおっしゃっていた言葉が私にはとても印象的でした。
"未来を能動的に変えてきたわけじゃない。でもたしかに前よりも今、良い場所にいる。だからなにかあるんだろうと思って、お話しする内容を考えました。"
ほんとに、きっと誰もが、良い未来を引き寄せる「なにか」をもってるんだと思います。
改めて、ルーシーさん、ありがとうございました。
まずキャリア年表を披露くださり、これまでのお仕事歴や出産前後のことから、最近のお仕事環境のうれしい変化についてまでをご一緒にたどりました。
おしとやかな雰囲気に似合わず?好奇心が旺盛でフットワークの軽い方なんだなとあらためて思いました。(ギャップ萌え)
キャリアの初期には、そんなルーシーさんが求める手応えが仕事からは必ずしも得られなかったそうですが、それならそれでと社外で様々なスキルを学び、いろんな人に憧れてその世界を素直に吸収していかれたことがルーシーさんらしさであり、間違いなく今のルーシーさんをつくっていると思いました。
フットワーク軽く興味関心に従うこと、人から影響を受ける素直さ、欲求に自覚的であること、ずっと願い続けているからチャンスを逃さず掴みに行けること、どれもルーシーさんの「未来を変えた習慣」なんですね。
"外からくるものは大きい。なにか意味がある。ちょっと無理してでも機会に乗るようにしている。"
ともおっしゃっていました。
今回の無茶振りもポジティブに受け入れてくださってとても嬉しかったです。
「欲求に自覚的になる」という習慣について、参加者の方から質問が投げかけられましたが、それはこんなことだと説明くださいました。
"欲求というのは互いに矛盾しているもの。仕事も思いきりしたいけど、子どもと過ごす時間も大切。何が自分の本当にやりたいことかは簡単にはわからない。だから「もやもや」は心の中で言葉にするけれど、簡単には口に出さない。"
なるほどなぁ、と思いました。軽やかだけれども穏やかさをたたえているルーシーさんの魅力の理由がひとつわかった気がしました。
また、キャリア年表の中から「未来に一歩踏み出した瞬間」をとりだしてシェアしてくださいました。
ひとつめは悔しさを飲み込んだ瞬間。
もうひとつはチャンスを掴んだ瞬間。
「私にもやらせてください」と言えなくて悔しい思いをした経験が、上司に来た依頼仕事を「私がやります」とすかさず受けにいく未来に結晶化する。
悔しさも勇気も、どちらも未来に踏み出す瞬間なんだなぁと感慨深くお聴きしました。
上司の代わりに登壇した業界の講演会。"自分と同じ仕事をしているひとと初めて会った"そうで、次のキャリアのヒントが得られたり、新たな機会に声がかかるようになったり、思わぬうれしい拡がりがまだこれからも止まりそうにないご様子に、ピースがはまって歯車が噛み合って動き出す瞬間というのがあるんだなぁとぞくぞくしました。
そしていまルーシーさんには、たくさんの可能性の未来が見えるそうです。
「10年時間をかければ今とは違うどんな仕事でも出来る」とも言われますが、これからは50年働く時代、まったく違う自分になっちゃうことも、きっとほんとにあるんでしょうね。
フューチャーインタビュー
後半はフューチャーインタビュー。
「願いが叶った未来」にタイムスリップして、未来の自分にインタビュー。
どうしてそんな場所に来れちゃったのか。そこはどんな景色で、さらにどんな未来がみえちゃう場所なのか。
セッション構成はいちのせきさんが最近受講したという研修からお借りしてきました。なので詳細は割愛しますが雰囲気だけでも。
あなたはなんでもできます。
願いを口にすると不思議と助けてくれるひとがたくさんあらわれます。
いま、どんな願いがかなっていますか。
こんな問いかけから未来に出発します。
それはいまなら何年後の世界で、そこにいるとどんな会話があって、どんなことをしているのか。具体的にイメージしたら立ち位置を移動して、問いを変えます。
そこにたどり着くまでにいろんな苦労があったと思いますが、どんなことをしたんですか。
誰のどんな助けがありましたか。
未来の私はそこまでに歩いてきた道のりをちゃんと知っています。
自分がどんな未来を望んでいて、そのためには何をしたらいいか、私たちはほんとうはもう知っています。もう知っている未来(knowing)の声だけを聴く問いかけです。
そこまでの道のりが見えたらまた立ち位置を変えます。
その間、いろんな人がいろんなことを言ってきたと思います。どんなことを言われたり訊かれたりしましたか。
その言葉にあなたはどんな風にこたえましたか。
何かを変えるときや願うときには、自分の外からも内側からも、批判的な声や諦めの声、心配する声が聴こえるものです。その声に向きあって、準備をしておくことで、未来への道がクリアになります。
最後に、最初の立ち位置に戻ります。もう一度そこからの景色を見渡すと、願った未来のさらに先にある未来がより鮮やかに見えているかもしれません。
みなさんそれぞれ、意外な未来やもう知っていた未来への道筋や、そこからの景色が一層鮮やかになる経験ができたのではないでしょうか。
いちのせきさん、素晴らしいセッションをありがとうございました。
デザインとドリフト、ホープとミスト
キャリアデザインには、いろんな季節というかタイミングがあると思っています。
そのことについて、「デザイン」と「ドリフト」という見方があります。人生には、自分の心の声を聴いて慎重に計画したり選択したりする必要がある時期と、ただ目の前のことに打ち込んだり、起こることにオープンでいればいい時期とがあるという考え方です。
また、「キャリア・ホープ」と「キャリア・ミスト」ということを言う方もいます。ホープ=希望や目標の有無と、ミスト(霧)=見通しの良し悪しのようなことで、その2軸の掛け合わせでキャリアのステイタスを見る考え方です。
ホープが定まらなくてもやもやするときも、ホープが明確だからこそつらい思いをするときもありますし、霧が濃くて道に迷うこともあれば、先が見えすぎて飽きちゃうこともあります。
ひとそれぞれに人生のいろんなタイミングに立っていて、その都度、未来の存在感って変わったりするのかなとも思いました。
未来のよき存在感を探し続けた1年間、今シーズンもお付き合いありがとうございました。
図書館で頭の中を検索する〜眠りと「いまここ」〜
こども館に来ましたが、隣の図書館をぷらぷら。
書店は脳検索にぴったりだけど(本屋で頭の中を検索する - キャリア探偵手帳)
図書館はさらに雑多な話題にあふれてます。楽しい。
家でじっくり精読するのとも違う「借りて帰るかもしれない」という予感をなだめつつ本をぱらぱらめくる喜び。
今日はなんとなく目についた、「睡眠」まわりの本を乱読してみました。
結構おもしろかった。メモ。
- 作者: 藤原智美
- 出版社/メーカー: エクスナレッジ
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・他者の気配が消され「自分のためだけのしつらえ」と感じられるという高級
・街中でこんなに簡単に眠る場所をみつけられるのは日本だけ。眠りの偏在化
・眠った瞬間に空間が消える
・現代は、眠らなくても、情報化により「場所感」が喪失している
・ネットワーク上に居場所を定めいつでもつながれることは、現前と不在の間にある「うつつ」。ここにないものがここにあるかのように現れる、夢と現実の境界領域的世界。
・生き生きとした「覚醒」と深い静かな「眠り」で構成される人生から、「夢」と「うつつ」で構成される半覚醒状態の人生へ?睡眠不足とは覚醒不足である。
朝昼夕3つのことを心がければOK! あなたの人生を変える睡眠の法則
- 作者: 菅原洋平
- 出版社/メーカー: 自由国民社
- 発売日: 2012/09/21
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・やる気が出るのは「50%は知っている状況だけど、残りの50%は未知の領域」というシチュエーション(ヴィゴツキーの発達の最近接領域)
・よい睡眠で、知ってる!と面白い!を増やそう(ってことかな?)
・「今日の行動は、明日のリズムのため」と思って行動する
・起床から4時間以内に光を見て、6時間後に(眠くなる前に)目を閉じ、11時間後にストレッチなどで体温を上げる
自分の力を最大限に発揮する! 脳のトリセツ (DO BOOKS)
- 作者: 菅原洋平
- 出版社/メーカー: 同文舘出版
- 発売日: 2014/09/27
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・脳は、力の配分ができない内臓
・どんな課題でも自分が得意とする脳の使い方で臨む。「自分がやれることしかやらない」
・仕事のできる人や挑戦し続ける人は「もうちょっとでできそう」という「半分は経験済みのこと=ハーフタスク」をつくるのがうまい
・課題を切り刻み、経験済みのことと未経験のことを組み合わせる課題設定
・脳のムダづかいをやめるために、感情や体調や注意を整える
・注意を整えるために情報断食。慣れた音楽や漫画を繰り返し読むとかもいい
つらい不眠症を自分で治す実践ノート―あなたは自分の睡眠障害に気づいていますか?
- 作者: 高田明和
- 出版社/メーカー: リヨン社
- 発売日: 2004/04
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・怒りと不安と睡眠
・「怒りを抑える」のでも「発散させる」のでもなく、「怒りを生み出さない」ようにする
・不安と不眠の仕組みは共通する
- 作者: 築山節
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2009/04
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・止まっている時間が長いと脳の活動は停滞に向かう。やる気とは行動することによって蓄積されるエネルギー
・脳と身体の問題が、メンタルの問題と混同されるケースが多い
・早朝は「社会に撹乱されない時間帯」
・快を求め不快を避けようとする感情系。自分を甘やかせることも時に大事だが、それを当たり前にしていると思考系が感情系の奴隷になる
・現代のように、社会から不快を与えられやすい一方で、簡単に得られる快が満ちあふれている時代には、感情系に支配されると果てしなく落ちていく。抑制の力は自己防衛法
メモは以上です。あっという間に1時間半。
睡眠は、覚醒と眠りの間。脳と身体の休息と活動。怒りと不安から解き放たれた場所。
鮮やかな「いまここ」の世界と自分の存在を感じて、健康に生きていきたいなぁと思いました。
能動的に情報に接し、自分の殻を柔らかくして人に接し、世界を曖昧なまま保留しつつ自分の足で歩くこと。
そういえば私には子どもの頃はずっと半覚醒的で、ここ数年やっと覚醒してきた感覚があります。
さて、そろそろ子どもたちをおやつに誘ってこようかな。
U理論子育て〜子どものだらだらとくだらない話にどうつきあうか
長女ちゃんはもう2年生。
部屋の隅っこで心ゆくまで漫画が読めるので、学童がだいすきです。
好きな雑誌はコロコロコミック。
頭の中はギャグマンガのネタでいっぱい。へそまでマンガです。
で、帰り道とかお風呂とかで、今日読んだギャグマンガのストーリーから、あるかないかわからないオチまで、延々と話して聞かせてくれます。
だらだらくどくどしていて描写が細かすぎてわかりにくく、基本的に下品で、きまってオチはつまらない。でも長女ちゃんは終始楽しそうで、熱心に説明してくれます。
さて、どんな態度で聴くべきか。。。
あまり熱心な素振りを見せてギャグみたいな人生を助長させてもあれだし、興味ないと本音を伝えるのも大人気ない気がする、それともそんな下品なのはやめなさいと言うべき??
そこで、あっ、と思いました。
いまの私の態度ってダウンローディングかなぁって。
くだらない、そんなんじゃモテないよ、という評価の声(VOJ : voice of judgment)をそのまま浴びせていいものか...
長女ちゃんの表情をseeing し、「ふーん、長女ちゃんはその話のどの辺がいちばん気に入ったの?」なんてきいたりしながらsensing に励みました。
なんかそれなりに興味深い答えも聴けたりして。
でもね、ギャグマンガの世界が不在化しようが、やっぱり私には関心ない..
でもまあ、自分の価値基準のフィルターでものをみてたら、長女ちゃんとの話もどんどん弾まなくなっちゃうんだろうなと感じた一件でした。
ギャグマンガにおけるナンセンスも興味深いような、深くないような。
息抜き投稿でした。お目汚し失礼しました。
#親キャリ 勉強会 シーズン4第2回『手放して、迎え入れる』
親になったわたしたちのためのキャリア勉強会、略して、親キャリ勉強会。
シーズン4 第2回勉強会を2015年9月13日に開催しました。
3か月に一度、自分のことを考える時間。
親になっても、親になったからこそ考えたい「はたらく」こと。
ほんとうは話したかったことをつかえまえるための勉強会。
話す、離す、放す。
今季のテーマは『時間旅行』。
価値観の旅。
過去、現在、未来、そしていまここ。
第1回は「過去」への旅、『ルーツと転機』をテーマとしました。
第2回の今回は「現在」への旅です。
「現在」のパラレルワールド=何かを手放してみた世界、を旅してみました。
がんばっている気持ちのもう片方にある本音に向き合うような、そんな時間になっていたらと願っています。
「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」のストーリー
これまでの勉強会にご参加くださった、めぐさん、さちえさんにお願いして「やめると決めて、手放したもの、迎え入れたもの」というテーマでそれぞれのストーリーをシェアいただきました。
めぐさんは今年7月に新卒入社以降お勤めになった会社を辞めたお話を。
さちえさんは昨年、同じように長くお勤めになった会社をお辞めになっていて、その前後のお話をしてくださいました。
お二人から受け取ったものがとてもたくさんありすぎて、詳細に記しきることができませんが感想程度にご紹介します。
お二人とも当日は心の機微までシェアしてくださりほんとうにありがとうございました。改めて心より感謝いたします。
手放したもの
めぐさんのキャリアストーリーは、この先5年10年単位で、どんな働き方をしたいのか、どのように充実していたいのかを明確にイメージされながら過ごしてこられたご様子がとても印象的でした。
「働くお母さん」はそんなめぐさんが、なりたくてなったもののひとつ。
そして会社をやめる理由はお子さんのためであることもさりながら、「働くからには上に行きたい」「評価されたい」という気持ちを手放すことはできないと心を決められたからだということを教えてくださいました。
定時内でもいい仕事をしたいという気持ちを手放すことはできないからこそ、定時内の仕事を評価しない場所に留まることはできない。凛とした潔いご決心だと思いました。
手放さなかったもの、手の中に残ったもの
でもじつはめぐさんは「働くお母さん」を手放してはいらっしゃいません。
ここ数年新たに芽生え始めていた「引退後はこんなふうに社会の役に立ちたい」という想いを実現するための勉強と活動にむしろ前倒しで取り組み始めていらっしゃいます。
関わっている有償ボランティアの組織についてのめぐさんの描写がとても印象的です。
「ふわっとつながっていて、向かっている方向はみんな一緒。それぞれできる範囲のことしかしていないのにそう感じられて面白い。リーダー的な人が居る一方で今月稼働がない人などいろいろ。でも役に立ちたいという人がこんなにたくさんいる。」
同じ想いを共有するゆるい組織に参加するようになってから、気付くと「誰かに評価されたい」は手放していて、「役に立ちたい」という気持ちだけが確かにあるそうです。
握っていた手をひらく
「手放す」ということは「ぎゅっと握っていた手のひらをひらく」ようなことかもしれません。
誰しも何かに執着してしまうことってあります。それはたとえば、
・モノ
・場所
・習慣
・規範
・人との関係性
・組織への所属
・肩書き
などとざまざまです。
そしてそこには「自分は何者か」「何が自分らしさか」「どんな自分なら許せるか、誇れるか」というアイデンティティの問題が関係することがあります。
それをぎゅっと握りしめていなかったら自分自身や他者や社会にとっての自分の価値が損なわれる、掌からこぼれていく、がっかりしたりされたりしてしまう、ここに居られなくなる。
他者からは思い込みや妄想にさえみえるような不安が、当人にとってはいまそこにある危機だというようなことが、誰しもあるものです。
しかし部屋をかたづけなければ新しい椅子を置けないときもあります。
ぎゅっと握っていた手をひらく。砂粒がさらさらとこぼれて、きれいな結晶が残る。めぐさんのお話からそんなイメージが浮かびました。
足跡をたどって降りてきた場所
さちえさんのはじまりのストーリーは、1年半前の森との出会い。二泊三日の森のリトリートに出かけ、「登る」ための何かをつかみにいったつもりが、「登ることを手放したらどうなるんだろう?」という問いを受け取って帰っていらしたそうです。
静寂の森での自分との対話、道に迷い『ものすごく不安で、足跡を辿って同じ道を戻ればいいと思ったら気楽になった。あ、降りようと思った。』という暗示的で比喩的な体験があったそうです。
『登る、に比喩されるもの。がんばって働くとかそういうこと。自分の無意識に常識と思っているものをいったん足跡をたどって降りてみたらどうなるんだろう?と思ってしまった。』
親キャリ勉強会での出会いも、転機として語ってくださいました。
40歳は「人生の正午」という言葉を知ったこと。後半の人生では、人生の前半で影になっていた自己や生活の部分に陽の光があたる時間帯になるという考え方。
人生の先輩である悠さんのストーリーに触れたこと。生涯のお仕事となるであろう今の創作活動との出会いが40歳のころだったというエピソードを聴いたこと。
『いまの仕事と働き方をあと30年続ける?』
『「稼ぐ」「たくさん稼ぐ」ということを手放したらどうなるんだろう?』
手放してみて、受け取ったもの
さちえさんはそれから時間をかけて、いくつかの出会いを試されたそうです。
安定した雇用関係とは異なるつながりによる活動に参加する際に『私なんもないじゃん!ってすごく思って』、起業塾やプロボノ※などもご経験される中で「判断を保留すること」と「想いを口に出すこと」に踏み出されていったようです。『自分に許可を出す』ことの大切さを語ってくださいました。
※参考記事
『ママボノ』に思う、弱さと強さで社会に関わるということ - キャリア探偵手
起業塾では「自分の困りごとを解消すれば、誰かの助けになり、ビジネスになる。そのような自分のアイデアを人に言いましょう」と教わったそうです。そして思い切ってFacebookで発言したら、「俺もそういうこと考えてるんです一緒にやりませんか?」と声をかけられ、現在参加している活動につながっている。そのようなご経験を、『目的を持ってやることも大事だけど、気になることをやっていると、結果として得るものがあるなという感覚』としてシェアしてくださいました。
まだ気づかれていない願い
目的をゆるめることで得るもの、見えるもの。とても共感をさそわれるお話でした。
最初は直感や素朴な感覚や個人的な願いだけがあって、それらに従って素直に発言したり行動したりするうちに、誰かと共有できる目的が立現れてくる。
しかし自分は何に心動かされるのか、本当は何を願っているのか。そのことをいつでも自覚している人ばかりではないでしょう。自分の気づいていなかった願いに気付くことで人は動きだせるのではないか、とさちえさんはおっしゃっていました。
人や組織が未来に向かって望ましい変化を経験しようとする時、壁となる3つの声が聞こえるそうです。(『U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術』)
評価・判断の声
…「もう知ってる」「それは違う」
…「もう知ってる」「それは違う」
皮肉・諦めの声
…「どうせ無理」「私には関係ない」
恐れの声
…「今の世界を捨てる?」「きっと耐えられない」
これらの壁の向こう側に行こうとする過程で、自らの願いはくっきりとしてきます。
しかしこれらの声は過去や現在を生き延びてきた自分を守ってきてくれたものでもあります。
『なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践』によれば、人や組織が変われないのは、阻害行動を正当化する「裏の目的」があるからであり、それは「免疫システム」でもあるからだそうです。
過去や現在を否定するのではなく「手放し」て、選択的な未来を迎え入れるには、「保留」と「対話」が重要となると言われます。
手放しては戻ってくる
さちえさんが長年勤められた会社を退職されたのは、このようにして『水が少しずつ溜まっていって、漏れた』タイミングだったそうです。
それでも、たとえば保育園に就労証明書を提出する機会などに、世の中から「はたらいている」と見られないことへの恐れが浮かび上がったりもしたといいます。
『手放したと思っても帰ってくるという事はすごくある。働いている自分のイメージや、保育園に行かせたいという願い、働いていると世の中に認められなければならないという気持ち。手放したりまたぎゅっと握ったり、繰り返している。そういうことってずっと続くんだろうなと。』
感想程度と言いながらとても長くなってしまいました。
お二人のストーリーシェアリング から受け取ったものがたくさんあります。参加された他のみなさんもそうだったと思います。ありがとうございました。
曼荼羅ワーク
当日は、受け取ったものや触発される思いを整理するために連想ワークを行いました。
あきこさんが、専門的には「9分割統合絵画法」、俗称としてマンダラ法をご紹介くださいました。
画用紙を9コマに割り、そこに連想されることを絵や記号、言葉などで書いていきます。らせん状に、中心から外へ(発散的)、または右下から中心へ(収束的)に連想を行っていきます。ビジネスでの発想法などにも活用される安全な手法だそうです。
参加者の皆さんの曼荼羅ワーク
短い時間でさっと仕上げていただいたのですが、それぞれがいろいろなものを受け取って、十人十色の内省が漂った場であったことが推し量られるワークになりました。
連想のテーマはそれぞれ自由に設定していただきました。
これからのこの勉強会も、何を目的にするのかをゆるくして、それぞれのお土産が自由に拾える場所であれたらいいなと願っています。
両立のその先はひとり旅。
【参考資料】
今回のスライド
引用文献
U理論 ― 過去や偏見にとらわれず、本当に必要な「変化」を生み出す技術
- 作者: C・オットー・シャーマー
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/10/31
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漫画解説本もでたらしいですね
なぜ人と組織は変われないのか ― ハーバード流 自己変革の理論と実践
- 作者: ロバート・キーガン,リサ・ラスコウ・レイヒー
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/09/01
- メディア: Kindle版
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積ん読解消シリーズ 『安心社会から信頼社会へ』山岸俊男 (1999)
会社の読書会の課題図書。
非常によかったのでメモ。
いつまでも継続することが保証された「コミットメント関係」の中にいることで安心が提供されていたのが日本社会の特徴でしたが、そのような関係の安定性による安心の保証が小さくなるにつれ、これからの日本社会では、われわれの一人ひとりが「この場面では相手を信頼してよいのだろうか」ということを考える必要性が大きくなっていくでしょう。
これからの日本社会で人々は、これまでのような外部に対して閉ざされた関係内部で相互協力と安心を追求することでは得られない、新しい機会に直面することになるでしょう。
その際に、日本社会に不信の文化が育っていくことになれば、このような新しい機会をうまく生かして効率的な社会や経済を展開していくための大きな障害になると考えられます。
信頼の文化が育っていくか不信の文化が育っていくかが重要なのは、それが経済や社会の効率的な運営を可能にするかどうかに大きな影響を及ぼすからです。
(はじめに より)
「安心」と「信頼」は違う。ということが本書の出発点です。
日本的ムラ社会では人々の行動が集団規範によってしばられていたので、相手の行動を予測する上での不確実性が低く、個別に信頼関係を見極めて築く必要性がなくてその意味ではとても省エネ社会でした。
しかしいまはそのような「安心」の集団を維持するコストはあらゆる面で高まっています。40年間の雇用保障ができるビジネスは稀有ですし、選択肢の多い社会で個人が売り渡す「自由」のコストも大きくなっているでしょう。
一方で、社会的な不確実性の高まりを認知すると、人は内集団びいきの傾向を強めると筆者は指摘します。外部者は信頼できない、渡る世間は鬼ばかりだと思いやすくなり、内集団の狭い関係性に注意を向けるようになるそうです。
その副作用として、安心の絆から踏み出して、個人対個人として信頼関係を築く社会的知性を磨く意欲や機会を失うことになる。その結果、社会に不信が広まれば人は容易に扇動されやすくなる。筆者はそのようなことを心配しているようです。
怖い傾向だと思います。
筆者の長年の研究によれば、「信頼」というのは甘っちょろくてうすぼんやりとした期待などではなく、対人関係を能動的に築こうとし、また人間性をみる能力をともなう社会的知性の高さに関連する態度だそうです。
この結果にはおおいに納得します。私自身個人的な経験から、人を「信頼」する人には覚悟と意思を感じるからです。
また筆者は、日本的といわれる集団主義にしろ、「もーれつサラリーマン」や「やる気のないOL」のようなステレオタイプ的行動にしろ、個人の心や好みのせいと考えず、そのような行動を適応的で合理的な選択とさせる社会のしくみの存在を意識すべきと指摘します。
社会活動や経済活動の資本となるソーシャル・キャピタルのひとつである「信頼」が築かれやすい社会的装置を設ける議論が行われることを求めています。
この「社会的装置」を考える際には、社会的不確実性を下げる、ということが重要です。
なぜなら社会的不確実性は、個人の内集団びいきを助長するだけでなく、差別や偏見をも助長するからです。
たとえば変化の激しい環境で終身的雇用に相応しい人材を採用するという極めて不確実性の高い状況においては、統計的確率による判断が選択されやすくなります。これを統計的差別といいます。
何らかの方法で社会的不確実性を下げ、雇用者が「賭け」易い環境をつくることで、結果的に労働者の属性ではなく個性を見極める誘引を高めるという方向性が有効であると考えられます。
このような社会的不確実性を下げるような社会的装置として著者は、すすんで手の内を明かすような、自発的に情報を開示し、意思決定基準を公開するような、ボランタリーな組織形態が極めて有効であろうと示唆しています。
とても賛成です!
どのようにしてそのようなボランタリーな組織形態が生み出され維持されうるのか、それについては今後の検討課題と著者は議論を次の機会に譲ります。
本書の刊行から18年、ボランタリーな組織形態のいろんな事例が生まれていると日々実感しています。いま研究させていただいているプロボノも然りですが、営利組織においても様々な実験的挑戦が注目されてきています。
失われた「安心」をもとの形のまま取り戻そうとするのではなく、「信頼」にもとづく行動が結果的に「安心」として育つような、そんな社会を創りたいなと思いました。
要因探しを急がない、という積極的?保留戦略
先週、研修に参加してきました。
課題解決的な目標設定と打ち手に終始するのではなく、問題の構造を把握して、構造を変える目標と方針を創造しようというようなテーマを扱いました。
研修中に常に問われたのは「それで誰かの心が動くか?」ということでした。
人の心を動かす、ということについて新しいアプローチを学んだような気がするので書き留めておきます。
それで誰かの心が動くか
日常の小さな案件処理であれ、半年、1年、3年先を語る計画の発表であれ、その一つひとつが関係者に「わたしが何者で」「何を目指しているか」のメッセージを送っています。
あなたは何者?
私に何を伝えたい?
人々は本人さえも気づかないうちに私にそれらを問い、答えを勝手に受信して帰っていきます。
管理職やリーダーというような立場にある人たちはなおさら、日々そのような問いにさらされていると言えるでしょう。
人の心を動かすのは、話し手が役割を脱いでほんものの言葉や行動を見せたときだということも実感しました。
でも今日のメモは、役割を脱ぐためにも役に立つけれど、誰にでもできるテクニカルな側面についてのものです。
結果を細分化し問題の焦点を絞る
メッセージをよく伝えるには、受け手の世界観やメンタルモデルを知ることももちろん大事だと思いますが、今回の研修で私がいちばん勉強になったのは「結果を細分化し、問題の焦点を絞る」ということでした。
問題の焦点を絞ることでメッセージが定まるということももちろん感じましたが、私が届けたいメッセージにとってそのことが大事だと思ったのです。
結果を細分化し問題の焦点を絞ればピアノ練習でも喧嘩しない
研修から帰って自宅で長女のピアノの練習をみていてそのことが腹に落ちました。
うまく弾けていない、練習の仕方がまずい、それをそのまま口に出せば彼女は練習を投げ出すかもしれません。その態度をもってモノを教わる態度がなってないと叱られる可能性だってあります。
長女自身は、なにをやっても文句をつけられる、くらいの構えをもってしまっているかもしれません。
結果を細分化するということはおそらくこの場合、うまく弾けていない中でも、それがリズムなのか指づかいなのか強弱なのかテンポなのか暗譜が進んでいないことなのか、、そのうちのどれがどのように問題なのかを話し合うことでしょう。whatの中のwhereを語ることです。
そしてそれがなぜ問題になるのか?は彼女がピアノ練習の先に得たい価値によります。先生に認められることかもしれないし、発表会でいい演奏をすることかもしれないし、心の中の音楽を表現できることかもしれません。
問題の複雑さは誰にとっても同じではない
でも今は結果の細分化の話に絞ります。
どの程度の粒度の細かさで結果系の現象をとらえられるか、その中の何が解決すべき問題の焦点で何がその要因なのか、を読み解けるかどうかは、経験や知識に左右されます。
PCのちょっとした不具合で私はお手上げ状態ですが、それをちょちょいと直せる人もいます。
結果の細分化に留まり、丁寧に解きほぐすことで、より多くの人と問題の構造を共有できるようになるはずです。
自分にとっては複雑な問題に見えていないとき、また日ごろ課題解決アプローチに慣れているときには、要因探しを急ぎがちです。
しかし問題の焦点を絞らずに要因をあてに行くと、得意領域や持論の補強にしか目が向かないことが往々にしてあるものです。
問題と問題でないものを分ける
さらに、結果を細分化し、フォーカスすべき現象を絞ることで、同時に「問題でない」結果にも目を向けることができます。
そうすれば「いい組織では6回褒められて1回叱られる」という『ロサダの法則』も実行できることでしょう。
ほんとうに不思議なことですが、結果を細分化し焦点が絞られると、戦略が浮かび上がり、要因の構造が照らし出されます。
要因探しを急がない
理由を知りたい。
それは自然な考えだと思います。
でも世の中は複雑で、大抵の出来事の要因は複雑に絡み合っています。要因探しを急ぐことは原因帰属を単純化し、持論同士の対立の溝を深くするようにも思います。
はっきりした要因はわからなかった、誰のせいでもなかった、でも解決したいことと欲しい未来を手にとって眺めたことが一人ひとりの次の一歩を方向づけた。そんなことだって起こりうるのかなと思います。
真の要因を知りたかったら、そして、私はあなたの味方であるというメッセージを伝えきりたいと思ったら、結果を細分化し問題の焦点を絞るチカラをもっていたい。そう思った4日間の研修でした。
割と当たり前のロジカルシンキングなのかもしれませんが、集団でものを観て心が動くような経験をするための手法の引き出しに入れ直しておこうと思います。